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恋人を見つける「氣学占い」の実験

連載 気学で恋人1

 

   もう25年以上前、当時独身だった私は恋人を見つけるために東洋占いの気学を試してみたことがあった。この気学で恋人を招き寄せる 占いの実験はある程度成功したので、その詳細をお教えしよう。4回ぐらいに分けて話そう。気学とは毎年の暦にある九星と、方位についての象意判断の学問だ。それらの星は一白水星、二黒土星…と続く。生まれた年によって自分の本命星が決められている。神宮館の暦の見開きを見れば一覧表があるので自分の本命星が何であるかは分かる。さてこの気学を応用して、私は一度だけ実験をしたことがある。私は異性の相手を見つけるには気むずかしい方で、なかなか合うのがいない。私がまだ結婚するずっと前、年盤の七赤が南西に回った年があった。1982年ぐらいだったろうか。その年の夏、七赤が南西に回ったので、たぶん7月か8月、同じ七赤の日で七赤の時間にピタリと合わせて東京都新宿区西早稲田にあった自宅を出発して南西のピンポイントに入る、小田原のある宿屋に泊まった。つまり私のしたことは、年月日時間をすべて七赤で合わせて満を持してその時間帯の中心で、南西方向へ動きだしたのである。 氣学占いでは七赤の方角は、恋愛・快楽・遊び・お金等々の意味があるが、私は恋人を見つけることを念じながら出発した。(続く) 9/20

 

 

連載 気学で恋人2     

 

      木造のこじんまりした宿屋は駅からそう遠く離れていなかった。予め地図で目星はつけておいたが、その辺の人に近所の神社を尋ねると、道沿いの線路を越えた北側にあるという。そこで地図でその神社を探し当てて行ってみると、階段をたくさん上がった小高い丘のような所にあった。幸いそこにはきれいな湧き水があったので、そこで私は水を飲めるだけ飲んだ。用意しておいた水筒にその水を入れて宿屋に持ち帰り、その晩またどんどん飲んだ。 氣学占いでは祐気取りとかお水取りとか言って、吉方へ行ってそこの湧き水を飲むことで応期になって効果が出ることを期待するのである。応期とは氣学占いでは一定の方位に働きかけてその効果が出る時期のことを言う。 氣学の場合は盤の関係上3ヶ月後ぐらいに出る。その晩はそこで読みかけの本でも読んで、ぐっすり眠り、翌日東京へ戻ってきた。後は3ヶ月後ぐらいに誰か相手が出てくるのを待つだけである。
   こういう占いの実験をしたのは初めてだったので、私も半信半疑でいたから、ひと月、ふた月と時間が経つうちに、段々とそんなことをしたことすら忘れてしまった。そして季節は秋へと移っていった。そのころの家は父が早くなくなっていて、母と三歳年下の弟と一緒に住んでいた。この弟に最近付き合い始めたガールフレンドがいて、神田のLook Japan という英語の月刊誌の出版社に勤めていた。その女性が同僚三人を連れて今度の夜、遊びに来るということになった。(続く)9/23

 

連載 気学で恋人3 

 

       弟のガールフレンドが、会社の同僚たちを連れてくる予定の晩の少し前に、うちで一緒に夕食を共にした。そのとき、同僚の一人は、その秋アメリカから1年契約で、Look Japanというその会社の英文月刊誌編集のために来た、名門ハーバード大学を卒業したばかりの若い女性だということがわかった。その人の名はアイリーンといった。夕食の時、母が「ねえ、アイリーンってどういう意味?」と聞いたので、私が「『隣人を愛する』という意味だよ」と言うと、「へーえ、いい名前ねー」と言って 一同しきりに感心していたが、しばらくしてから気が付いて、「何だ、それは日本語と同じじゃないか」と言い出した。
      いよいよその晩が来て、アイリーンと顔を合わせたら、ちょうど、アイルランドの歌手、エンヤをもっと愛らしくして、さらに知的に鋭くしたような美人だった。アメリカ人としては小柄な方だった。滅多に女性に対して心を動かさない私が、珍しく一目見て気に入ってしまった。もしかしたら気学で祐気を取った効果が出たのかも知れない。まさかそんなことがあるのだろうか、と思った。その晩はそこで私が通訳をするような役目だったのだろう。帰りに私だけがその同僚たちを高田馬場の駅まで送ることになった。まだ時間があったので、みんなで喫茶店に入ってまたおしゃべりをしたとき、アイリーンの手相を見た 。この頃はまだ占いを仕事でしていたわけではなかったが、既に手相占いのプロ級の腕を持っていたので、以外とわがままで気が変わりやすい、感情線が薬指の下で段を為して切れている相が見つかった。アイリーンはそのとき私に名刺をくれた。それから高田馬場の駅前で彼女たちと別れて普通ならそれでおしまいである。その約10日後、私が当てにもしないで、たまたま行く予定にしていた上智大学で英語で行われるユング関係の公開講義の案内 が英語で書いてあったので、それをその名刺の場所に送ってみた。(続く) 9/28

 

 

連載 気学で恋人 4 完結編

 

   上智大学のそのユングの公開講義は夜になって行われた。講師は当時上智にいたスイス人のユング学者トーマス・インモースだったように思う。公開講義の教室は教壇の後ろが入り口だったので、後から入ってくる人はすぐ分かる。入ってくる人から見ても、聴講している人たちの顔が見渡せる。7時頃始まって、8時半頃終わるのだったろうか?よく覚えていないが、7時に行ったとき、アイリーンはいなかった。聴講者たちは既に集まっており、講義が始まった。講義が始まって30分ぐらいすると、突然入り口のドアが開いて、アイリーンが入ってきた。そして私の隣に座ったのである。

   アイリーンの専攻は日本文学であり、ユングとはやや逸れていたからこの講義自体には余り興味はなさそうだった。私と再会するために来たのだった。それからこのニューヨーク出身でハーバードを出たアイルランド系アメリカ女性との付き合いが始まった。彼女としては初めて異国の地へ来て、アメリカの事情に通暁した私と会え、他の日本人との会話では必ずとぎれとぎれになるのが、私とはよどみなく話せるので、ホッとした面もあったのだろう。さて我々の関係は、私流にゆっくりと、はじめはただの友達としてデートしていた。ところが私が一向に先へ進める気配を見せないので、アイリーンは焦れてきた。ある時、国会図書館へ一緒に行ったとき、コートを脱いだアイリーンは胸がはだけるようなドレスを着てきたのである。それから、それと分かる誘いをかけてきた。当時の私は修養が出来ていなかったので、フラフラッとなって、次のデートでこの妙齢な美人と美味しいことが出来るかも知れないと思うと、頭の中が幸せで真っ白になった。

   だが私が求め出すと彼女の態度が急に気が変わって、やらないと言い出して、議論になった。押せば引き、引けば来るという、途方もない天の邪鬼な面がでてきたのである。これが先日手相を見たとき薬指の下で段をなして切れていた、あの感情線の持つ意味なのだと、私は実地で見聞して、初めて合点がいった。それからは注意して、一寸抱き合う(hugging)程度で止めておき、翌年の夏にアイリーンが帰るまで友達以上、恋人未満の関係が続いた。アイリーンは完全な恋人ではなかったが遊び友達としては非常に面白い存在で、気が合っていたから、延々とおしゃべりが続いた。もし気学の祐気取りが彼女を私に引き寄せたのであったならば、確かにその効果はあったのだろう。気学は私に遊び友達を与えてくれ、人生経験もさせてくれた。1982年から83年にかけてのことであった。 (完) 10/6

 

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