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エッセイ 1

 

だいぶ長い間サボってしまいました。ここにあるのは2003年夏以前のです。

2003年の暮れから六本木に引っ越したので、豊島区在住時代の話です。

 

以下の文章は下から上に時系列になっています。

12月6日の分のみ、5/11の下にあります。

 

 

    8月11日からハワイへ行く。今度で7回目ぐらいか。オアフ島よりもマウイ島に縁がある。ダイヤモンドリゾートというリゾートクラブの会員なので、11年前、初めて行ったとき、マウイ島のワイレアにあるダイヤモンドロングステイというホテルに泊まった。2階建てのコテージが散在する形式のホテルで、隠れ家風の居心地の良さのあるホテルであった。階下の方に部屋を取ったので、妻のケーティがバルコニーでくつろいでいると、2階から中小企業の経営者らしい、人柄の良さそうなおじさんが、"Did you come from Japan?"と、いささかこなれない英語で話しかけてきたのを覚えている。
    この間ジャカルタのマリオットホテルがアルカイーダの爆破事件に巻き込まれたが、ケーティが娘の令奈をはらんでいる頃、マウイ島のカアナパリにある、マウイ・マリオットに泊まったこともあった。たまたま夏のピーク時で空きがなく、普通の部屋を頼んだにもかかわらず、某クレジットカード会社の上客ということで、ビートルズも泊まったという最上階のペントハウス、グランドピアノまで置いてある、広々とした最高のスウィートルームに普通の値段で数日泊まることができた。窓を開け放したその部屋で味わう、間断なく吹いてくるマウイの微風ほど贅沢なものはないのではないかと思われた。

     或る朝、試しにカアナパリとラハイナを結ぶサトウキビ列車に乗った。古い線路とこれまた古い車輪のかみ合いが甚だしく悪く、立っていることもままならない、がたがたと激しく揺れる列車の座席がまた粗悪な堅いベンチのようで、妊娠5ヶ月のケーティは降りたら気分が悪くなり、もう少しで令奈ちゃんを流産するところであった。
    娘の令奈が1歳になった年のゴールデンウィークに、ケーティの両親(このサイトのwedding picturesの中に両親の姿が見られる。)がコロラドからはるばる令奈の顔を見ようと、東京でではなくマウイ島で会うことになった。このとき令奈は1歳と5ヶ月ほどであったが、急に異なった環境に投げ出されてちょっとした防衛本能からか、普段と違って、いかにも可愛らしそうに振る舞う能力がこんな小さい子にあるのを見て私の方はびっくりした。ケーティの両親とはかってのハワイ王朝の古都、ラハイナの名所旧跡巡りをした。残念ながら二人ともここ数年の間に亡くなってしまったのである。
  さて令奈ちゃんは子供の自発性を尊重する教育としてシュタイナーとともに名高いモンテッソリ小学校の2年を終えて、今度は3年になる。モンテッソリと言えば、アンネの日記で知られる、かのアンネ・フランクもナチスを逃れてオランダに移住する前、フランクフルトのモンテッソリ・スクールにいてなかなかAが取れないで手こずったと言うくらい優秀な学校だ。アメリカの有名人や金持ちの師弟の多いマウイのモンテッソリで、今期の令奈ちゃんの成績はオールAプラスという驚異的な記録を樹立した。もちろん最優秀の生徒である。親バカかも知れないが、どうせなら将来はハーバードかイェールに入ってもらって、ゆくゆくはアメリカ合衆国初代の女大統領になってもらおう。
   オアフ島には私の見た限りではたいした本屋はなかったが、マウイ島のカフルイには数年前、大型書店のボーダーズが来た。だから私にとってマウイ島に滞在することには全然抵抗がない。ボーダーズはバーンズアンドノーブルズに次いでアメリカでは大手のチェーンブックストアである。カフルイに出来たボーダーズに年に1回行くと、だいぶ本も入れ替わっている。たまにハワイに来たのに、つい朝から晩まで、人文(哲学・宗教・心理学・文学・芸術)、社会科学(経済・政治・社会学)を中心として、そのほか、自然科学、オカルト、占い、IT、コンピューターまで徹底的に調べまくる。都合がいいことにスターバックスに似た喫茶室も併設されている。「一体あなたは大事な娘や私をほったらかしにして、何をしに来たの?」とケーティさんに怒られてしまう。今度もまたそうなりそうだ。    8/11 '03

  

 

 

      5月の15日にフジテレビのスーパーニュースに出て以来、あまりの忙しさにホームページを更新する気力さえもなくなっていた。読者の皆さんには本当に申し訳なかった。やっと人心地がついてきたので、これからは最低でも週に1回ぐらいの更新のペースを守りたいと思う。しかしこの間にも、何冊かの本を読んできた。前野徹氏の「新・歴史の真実」、岡崎久彦氏の「日本人の歴史観はどこでゆがんだか」など、歴史に関係するものを読んできた。これらの本を通読しているうち、特に二つのことに気がついたので触れておきたい。
      何度も繰り返して言っているが、「世界がよく機能する状態とは何か」、という視点から事物を見ることが重要である。それは生命がよく機能している状態が善であり、よく機能するように促すことが愛だからである。こうした点から歴史を見ると、日本の近代において日露戦争で日本が勝ったことは世界がよく機能するような状態を形成するのに莫大な影響を与えた。それによって有色人種と白人の人種差別を排除し、アジアアフリカの独立を促し、世界が調和的に歩むきっかけを作ったことの重要性の正当な評価は全く出来ていないと言ってもよい。歴史とは人類が調和的に善の実現に向かって行く過程であるとするならば、世界というものをよく機能させる上で日露戦争の果たした役割は途方もなく大きいものである。 続く  6/30

   日露戦争は白人の方が優秀で、有色人種は劣等であるという偏見を打破した。もし白人の方が圧倒的に優秀であるならば白人がサルのような有色人種を支配するという植民地主義は正当化される。必ずしも白人が優れていないのであれば有色人種から搾取する正当化の理由を失うのである。一般に言われるようなアジア・アフリカの民族の解放を促したというのみではなく、日露戦争の偉業は、白人の有色人種への植民地支配の正当化を阻んだことにある。正義は悪となることを認知せざるを得なくなるため、このときを境に白人の植民地化への侵略はピタリと止んでしまう。有色人種蔑視の人種偏見を是正し、人類を平等な方向へ踏み出すきっかけとなった世界史の重要な分水嶺である。日露戦争は数の上でも劣勢で、ロシア人と比べ平均身長10センチ、体重20キロ以上も劣っている日本人がその優れた精神力によって白人を打破した日本人の偉業である。人類の歴史をよい方向に促した極めて重要な基本要因の一つである。このような偉大な行為を通り一遍の歴史上の単なる一事実としか認めないような教え方をしてきたのは愚かと言う他はない。 7/13

 


 

  3月29日のお昼にフジテレビの「なまあらし」という番組に出た。そのときタレントの奧菜恵ちゃんの手相を見たり、じゃんけんゲームをしたりといろいろあったが、とても面白いことがあったのでご報告しよう。まずテレビ出演打診の電話が安孫子さんという27歳の女性からあった。一応OKにしたので安孫子さんが昼間私のいる「イズム銀座」に来て大体どういうことをやるのか説明してくれた。簡単に言えば勝ち抜きで占い師同士がじゃんけんをして勝った方が残るというものであった。 安孫子さんの話によると美里さんというタロット占い師がとても強くて3週連続勝ち抜いているという。占い師なんだから相手がじゃんけんで何を出すか当てて欲しいと言うことであった。私の場合は今回は手相占い師として紹介するので、手相で当てて、私が使っている易のダイスなどは使って欲しくないということであった。「そんなバカな」とは思ったがせっかくのことだからちょっと出てみようかという気になって、引き受けることにした。 4/10 

      丁度、潜在意識を活用するマーフィーの本を読んでいたので土曜日の本番の2,3日前の夜、心を澄ませてリラックスしながら自分の潜在意識に向かって「じゃんけんで勝つにはグーですか、チョキですか、パーですか?」と自分の無意識を全面的に信頼して聞いてみると、チョキと聞いたときの反応がよかったので、「本当にチョキですか?」と聞くと、ぐぐっと反応した。これはチョキで勝てると思い、いよいよ土曜日になって正午の本番の2時間前にお台場のフジテレビに入り、控え室にいると、例の安孫子さんがやってきて「こういう手順でやるんだと言うことを頭に入れておいてください。」と前の週のビデオか何かを見せてくれた。これで見ると予選があって、勝ち抜いた人が今チャンピオンの美里さんに挑戦するという次第になっていた。不注意にも私は一人とだけやるのだと勘違いしていたので、ここで始めて二人に勝ち抜かなければならないのだということに気がついた。しばらく経ってリハーサルをやるから来て下さい、とまた安孫子さんに呼び出されてスタジオに行くと、私と予選を争う原宿のタロット占い師で40代半ばぐらいの菅野さんと本番でモタモタしないためリハーサルをやることになった。若い人たちに人気のある「あらし」の一人に自分が何を出すかを相手方には分からないようにこっそり告げて、それから一二の三でじゃんけんをかたどった板を視聴者の方へ振り上げてみせるという趣向であった。

   そこで私は本番ではチョキを出すことに決めてあったので、この練習ではグーを出してみたら菅野さんはパーを出したので菅野さんの勝ちとなった。 (続く)   4/16

  正午近くなったとき、スタジオの暗がりにいると、奥菜恵さんらしい目立った顔立ちのやや小柄な女性がドアを開けたので、奥菜恵さんですかと聞くと(テレビを全然見ないので彼女の顔を知らなかった)、私が奥菜さんの手相を見るという今日の予定を知っていたらしく「よろしくお願いします。」と答えたので、その場でちらっと彼女の手相を見て、「小さいときの方が内気で、だんだん勝ち気になってきたでしょう?」というと「そんな感じ!」と言った途端、 向こうの方で「奥菜さーん」と出番のかけ声がして舞台の方へすっ飛んでいった。 私の出番が来て、舞台に上がるとき、モクモクと雲のようなものから現れる趣向になっていたので、これは大変な娯楽番組に巻き込まれてしまったなという感じがした。まず奥菜さんの手相をテーブルを挟んで椅子に座って見ながら、視聴者に分かるようにあらかじめ用意されていた大きな手形に彼女の手相の特徴をマーカーで書き込むことになった。27歳のところが かなり変化する時期になっていたので、出会いとまでは行かなかったが、フジテレビのライターが「恋愛、恋愛」とうるさく言っていたので、そこで新たな恋愛をすることにしておいた。さていよいよ菅野さんとのじゃんけん対決になり、私が菅野さんの手相を見て、いかにも手相からじゃんけんの手が分かるかのようにして、次に菅野さんがタロットで相手の手の内を読むという儀式が行われた。私の方はあらかじめチョキを出すと決めてあったので、先ほどリハーサルで菅野さんはパーを出して勝っているのでまた同じパーを出すのだろうかとちょっと気になったが、「あらし」の何君だか知らないが、とにかくそこにいた人に耳打ちしてこちらはチョキを出すように伝達した。    4/20

    私がチョキを出すように伝達して菅野さんの方を見ると、ちょうど彼女が何を出すか耳打ちしているところで、口元の動きを見るとパーと言っているのが見えたので、「あれ、やっぱりこれは勝った。」とやる前に分かってしまった。そこで一二の三で若い連中が視聴者に向けてじゃんけんの大きな板を振り上げてみたら、私がチョキで、菅野さんがパーになっていたので、見事私の勝ちであった。フジテレビでは見学の人がスタジオに何百人も座っていたので、その瞬間ため息と歓声が上がった。さて次はいよいよ私がチャンピオンの美里さんに挑戦することになった。  4/25

  美里さんは30代はじめぐらいのまだ若いタロット占い師で、顔のホクロに特徴がある。潜在意識の命令が2回も有効かどうか分からなかったので、チョキを一回出してあるので今度はその場の雰囲気でグーでも出してみるかと勝手に決めて、先に美里さんの手相を見て分かったような顔をして、「はい分かりました。」といって先に決め、次に美里さんがタロットで占いって、自分の出すものを決めた。そこで、また一二の三でじゃんけんの板を振り上げると、私がグーを出し、美里さんがパーを出したので、今回は私の負けとなった。後で楽屋裏で美里さんに聞いてみると、やはりタロットで手の内を読んでいると言うことであった。しかしよく考えてみると、取り敢えずグーを出すことに本気で決めて、その後再び潜在意識を全面的に信頼してチョキにしていればどうなっていただろうか?まさか二つともチョキで行けたとまでは信じられなかったのでついグーを出してしまったのであるが、潜在意識を信頼していればおそらく勝てたのではなかったかと思う。 (完)   5/1

 

 

   先週、ギタリストの村治佳織さんが来た。昨秋にはピアニストの潮田侑樹さんが来たり、クラシックの音楽家は大歓迎である。私はクラシックギターの演奏家などにはにならずに別の道を歩んできたがアメリカの大学の第1回目のタレント・ショーで30組のコンテスタントの中からクラシックとフラメンコギターを弾いて優勝したことは前にこのエッセイの欄のすぐ下の方で書いたことがある(10月5日分)。村治さんとギターの話をしていたら以前のことをまた思い出した。実は私はその翌年にまたそのタレント・ショーに出たのである。そうしたところがまたしても熱狂的な拍手が起こり、standing ovation になって最高得点になった。ところが審査員たちが去年の私の活躍を覚えていて、同じ人がまた1位になるのは問題だと騒ぎ出し、論争の結果私は2位に甘んじることになった。そうすると2位以下の印象が薄かったので、今度は学生たちがブーブー言い出し、大変なブーイングが起こった。「あのJapanese guyの Incredible Masa (私のニックネーム)が1位だ!」と大騒ぎになったことがあった。翌日になっても私のことを気遣って「あなたが一番だってみんなが言ってたわよ。」と言いに来てくれた女性もいた。
   私は音楽CDにサインをしてもらうために行列などしたことがなかったが、ただ一度例外があった。5年前の8月に渋谷の大型店舗のCDショップに入ったらたまたまクラシックのコーナーでサイン会があった。そのとき行列してサインしてもらった人が実は村治佳織さんである。 ここにあるデジカメで撮ったCDジャケットがそれである。村治さんのサインの下に1998年8月23日の日付が入っている。このアルバムはアランフェス協奏曲で有名なロドリーゴのギター独奏曲を集めた比較的地味なCDであるが、それなりに聞いていて楽しい。 「ファンダンゴ」と「祈りと踊り」がこの中では聴きやすい曲だ。なぜ行列などする気になったかというと、それ以前に彼女のCDを2枚ほど購入しており、それぞれにいい印象を持っていたので「まあいいか。」とその場で決めて並んでしまったのである。以前に買ってあった1枚目はデビュー盤のespressivoと言うタイトルのCDで、アグアドの「序奏とロンド」が聞き応えがある。2枚目はGreen Sleevesと名付けられたCDでシェークスピア時代の16世紀の音楽をまとめており、当時はギターよりもリュートの時代であったから、弦の弾く位置を工夫して、微妙にリュートの音色に近づけているのもおもしろい。全体に村治さんの演奏は、優れた集中力を保ちながら音の起伏が軽やかに執着なく流れていくのがいいのである。それはそれで「美のイデア」の一つの表出である。 音楽というのは時間の中を流れていくものであるから集中力のある演奏というのはそれまでの経過をふまえた上でここぞというコンマ01秒の瞬間を選び取って適切な質と量の音が解き放たれる。その連続が心地よくさせるのである。特にややゆっくりめの曲の時それがよくわかる。

  村治さんにサインをしてもらう、いよいよ私の順番になったとき、一言「私もギターを弾くんですよ。」と言ったら、村治さんは少し嬉しそうに「あ、そうなんですか。」と言ったので、数年経ったこのあいだ「ヒゲのおじさんが『私もギターを弾くんですよ。』と言ったのを覚えて る?」と聞いたら、しばらく記憶を辿ってみてくれたのはいいが、やっぱり「覚えてない。」と言われてしまった。 3/15
 

 

 

 

  昔、早稲田大学のESS(一番伝統のあるクラブで略してWESSという)のスピーチコンテストで300人ぐらいの参加者の中から優勝したこともあるので私は英語の発音にはうるさい方である。今回は電車の中での不完全な英語のアナウンスメントを二つほど取り上げてみよう。

  妻のケーティはコロラドのユーレイという人口500人の町の出身で、大西部の見晴らしのよい風景になれている。東京はあまりにも建物に囲まれて視界が遮られるので、お手軽なところで時々お台場へ行き、砂浜にござを敷いて、娘の令奈をその辺に遊ばせながら、よく海を眺めて坐っていた。私なども時々それに付き合うことになった。そこでお台場に行くには「ゆりかもめ」という無人電車に乗ることになる。次の駅名を告知するのに日本語のアナウンスメントに続いて英語のアナウンスメントが入る。聞いていると「The next station is ・・・」のはずが「The nexto station is ・・・」と余分な音が入っている。ベーシックな間違いだから誰かが注意するだろうと思って、1年ぐらい経ってまた「ゆりかもめ」に乗るとまだ同じアナウンスメントのままだった。山手線の新しい車両も英語のアナウンスメントが入るようになった。乗り換えのアナウンスメントをするときはネイティブがやるので問題ないが、優先席のアナウンスメントをするときのは日本人の女性がやっていて問題がある。以下のような英語が流れてくる。「There are priority seats reserved for elderly and handicapped passengers, expecting mothers, and passengers accompanied small children.」発音は英語らしくはなっているものの、アクセントや抑揚が日本語のままである。個々の発音は矯正できても、一区切りの発話全体が英語のアクセントとイントネーションに同化するのは以外と難しいのである。下線を付けたところが特に日本語に引きずられていた。   3/3

 

 

     「銀座駅前大学」というのがある。社会人向けのカルチャースクールの一つである。6年ぐらい前に開校したらしい。場所は銀座4丁目中央通りUFJ銀行の7階のイズム銀座の中にある。ということはたまたま私が普段いるところと同じなので、しばらく前から学長の村岡さんとは顔見知りになっていた。昨日1階のエレベーターの前でその村岡さんとはち合わせになり、「相談がある」という雰囲気だったので後からサロンで村岡さんのいるテーブルに腰掛けると、セミナーを一つ引き受けてほしいという話になった。どうやら締め切り間近の空白になっている部分を埋める必要があったみたいだ。村岡さんとしては「銀座の父」の「占い」のセミナーをやってもらうつもりだったらしいのだが、私の方はどうせやるなら近いうちに出版する予定の哲学の方でやってやろうと「光と生の人間学」を推した。今まではごく親しい人たちだけに個人的に説明してきた、門外不出の究極のヒューマニティー「光の範型」を格安の講座料金 2000円で今度初めて公開することになった。出版前の肩慣らしのようにはなるが、読者にとってどこが分かり難いかを確認して行くには絶好の機会なので喜んでお引き受けすることにした。昔アメリカの大学で初めてこのシステムを図式化して、哲学科のチェアマンのスタート博士に見せたところ、「This is the summary of all humanity.」という答えが返ってきた。人間性の根本構造を光のスペクトルによって普遍的に図式化したものなので、それに参与してくるものはすべて統合整理することが出来る。プラトン、アリストテレスの哲学の原理と(お望みであればカント、ヘーゲルなども入れて)、福音書、老子、バガヴァドギータなど宗教の聖典の本質構造との一致関係を簡単に照明(illuminate)できることを説明する。 本の完成に時間がかかりすぎて、もしかしたら大思想家になりそこなった(?)男の「 一本刀土俵入り 」のようにも見えるかも知れないが、とてもそんなものではすまない。いずれメジャーな思想になるのは時間の問題なので皆さんも楽しみにしていただきたい。 なぜそうなのか、そのことについてはまた別のセクションで説明しよう。セミナーの日時は3月29日(土)の午後5時から7時まで、参加したい人は追って問い合わせ先などもホームページの方に載せるつもりである。  2/16

 

 

   クリスマス休暇で、年末年始はハワイから妻のケーティと娘の令奈が戻ってきたので、大晦日は二人を連れて谷中と浅草へ出かけていった。谷中には谷中銀座というちょっとした商店街がある。このローカルな商店街は下町風で外人の観光客もよく来るところなのだが、吉本隆明の本を読んでいるとき、著者が「谷中銀座を散歩して云々」と書いてあったので、気になって去年の4月、初めてそこを訪れてみて、なかなか面白かったので、連れて行くことにしたのである。

  まずは去年初めて訪れたときの印象は、狭い小道の、距離もそんなに長くはない、麻布十番の商店街をさらに小粒にしたようなところであった。この商店街は歴史は古いのかどうなのかと疑問に思いながらブラブラしていると、或るうどん屋の前で品のある老婦人が椅子に腰掛けていたので、彼女に話しかけてみた。「すみません、生まれて初めて谷中銀座へきたのですが。」と話しかけると 、色白で背筋もしっかりとしたこの老婦人はいろいろなことを話し始めた。(2,3日後に続く) 1/10

   「終戦の時、このあたりはアメリカ軍の爆撃を受けて36個もの大穴があいていました。焼け野原になっていたのでそれらを全部整地して修復し、道の両側に家を建てて商店街の基礎を作ったのが私の父だったのです。」ということで、知らないで私は一番いい人に当たり、谷中銀座の歴史を聞くことができたのである。ほかにも何か言っていたが覚えているのはこれくらいか。
   すると向こうの方から50代ぐらいの外国人の夫婦らしきカップルが歩いてきたので、彼らを手招きして呼び寄せ、「ちょうどここに谷中銀座の歴史の証人がいるから、何でも聞いてご覧なさい。」と私がいうと、このカップルの主人の方とのやりとりが始まった。まず私が老婦人から聞いた話を彼らに話してやり、あなたは何で日本にいるのか、いつ帰るのかなどを聞いてみると、自分はアメリカ人で経済についての評論家で2,3日前、経団連で講演をして明日アメリカに帰るということであった。彼はワシントンにいて、奥さんはニューヨークで会社の社長をしているということだった。名刺をくれてジェームズ・K・グラスマンという名のハーバード大学を優秀な成績で出たこの評論家は、日本経済新聞にも自分の寄稿した記事が時々載ると言っていた。「一週間ぐらい日本にいて、たくさんの人と会ってきたが、これまでの中ではあなたの英語が最高だ。」と言ってくれた。老婦人が 期待を込めて「私の孫が日航のスチュワーデスをしているからそのことを 言ってください。」というのには困った。そんなことを言ってもアメリカ人は感心するわけではないのである。 (続く) 1/12

     さて話は一気に去年の大晦日へと飛ぶ。午後の4時頃になってケーティと令奈を連れて大塚のマンションを出発して、山手線に乗り、日暮里で降りて南側の山沿いから、谷中の墓地の方へ出た。なかなか広い墓地でここは私も初めてだったので皆できょろきょろしていると立派なお寺があった。毘沙門天のある天王寺である。令奈のスナップ写真を撮って、当たりも薄暗くなってきたので墓地を抜けてしばらく行くと、谷中銀座の商店街は大晦日の夕刻の賑わいをなしていた。商店街の端の方に「小野陶苑」という陶器屋があり、店の前に見事な筆致のペン画のカレンダーが置いてあった。杉山八郎というペン画家が描いた下町情緒のある一月ごとの画集カレンダーであった。店の主人が「この画家は僕の小学校の同級生で、この近所の根津に住んでいるんですよ。」と教えてくれた。ケーティが気に入ったので、この1200円のカレンダーを購入した。ブラブラしているうち令奈ちゃんがトイレに行きたくなったので適当なところを探していたら偶然、以前のうどんやが目についた。「かみや」という屋号のそのうどんやに入り、ついでに年越しそばをオーダーして、天ぷらそばを食べることになった。そばがなかなか出てこないので手持ちぶさたにしていると、外から例の老婦人が戻ってきて私を認めた。(続く)1/19

  「お久しぶりですね。」と老婦人は私に挨拶したが、すぐに連れがいるのに気がつき、「おや外国の方ですか?」とはじめは私の家族とは思わなかったらしく、私が「妻と娘です。」と言うと、本当かしらん、とちょうど令奈ちゃんが絵本を読んでいて、顔が隠れていたので上からのぞき込んだらハーフの顔をしていて、どちらかというと眼が私の方に似ていたので、やっと納得したようだった。「アメリカのどちらの方ですか?」などとおきまりの質問がきたので、「妻はコロラド出身で、コロラド大学を3000人の卒業生の中でトップの10番以内で卒業したのでファイ・ベータ・カッパ(Phi Beta Kappa)という成績優秀な人たちだけが入れるソサエティーのメンバーなんです。」と私が応えると、またマサの自慢話が始まったと、ケーティがケラケラ笑い出した。

それを立ち聞きしていた老婦人の息子である、この店の主人がそばへやってきて、「コロラド大学だったら、すぐ近所に東大を途中でやめて、コロラド大学へ行って、戻ってきた人がいて、外人がうちへきて分からなくなったときはいつも電話して、すっ飛んできてもらうんですよ。」などと言いだして座が盛り上がってきた。

 我々が座っていたその同じテーブルに数年前に加山雄三が来たらしく、色紙がかかっていた。  (続く)1/30

  谷中銀座を出て、日暮里駅から上野へ、地下鉄銀座線に乗り換えて、終点浅草へ着いた頃は7時近くなっていた。雷門の前で令奈ちゃんを撮ろうとしたが、人が後から後から記念撮影をするので、なかなか正面から落ち着いてシャッターが切れなかった。
   雷門から浅草寺へ通じる仲見世通りは日本の伝統的なものを売っている店が多く、ケーティや令奈はあちこちに立ち寄ることになった。ケーティは10数年前初めて日本に来たとき、駿台ELSという英語学校の教師をしていて、駿台予備校が経営していたマンションが西新小岩にあったので 、そこからお茶の水に通っていた。浅草はそう遠い距離ではないので暇なときは一人でよくこの仲見世通りへ来てブラブラしていたそうである。 日本へ来て3年経って私と出会った。

    令奈は射手座に惑星が3つかたまっているので性格が明るく、何でも楽しめる子だ。こういうところへ連れてくると喜んで見て回る。それでいて蠍座にも惑星が3つあるので、集中力もあり、読書好きで、どんどん本を読んでいく。英語は単語の数が多いので、知らない単語はどう処理するのかとケーティに聞くと、全部、前後関係から分かってしまうそうである。この間の12月で8歳になったが、7歳ですでに掛け算の九九をマスターしてしまったので、勉強が出来るようであれば、将来はアメリカ本土のいい学校へ入れてやりたいと思う。父親は大変だ。
 我々家族は浅草寺にはすでに何回か来ているので令奈もお賽銭の投げ方を知っていた。といってもただ投げるだけだが。賽銭場の手前には授香場があり、お参りに来た人が身を清めるためにお線香で、体の悪い部分の近くにあてがうと何となく気分がよくなるそうである。密教系の天台宗の行の一つである。御神籤を引いたら、ケーティだけ吉で令奈と私は凶と出てしまった。凶の場合はそばにある、それのための鉄の軸へ 御神籤を結びつけて、後は忘れてしまう。 帰りがけに駅のそばのスターバックスへ寄って、一休みしているうち令奈ちゃんがハワイとの時差で眠気が差してきたので、これで今日はお開きとなった。  2/4
 

 

 

 

     今年の「取り」は一橋大学社会学部教授をしている友人、深澤英隆君にちょっとだけ登場してもらおう。深澤君とは17,8年前、彼が東京大学の大学院で宗教学の博士課程にいた頃、ユング研究会で一緒だった河東君(当時彼も同じ研究室にいた)を通して知り合った。「うちの研究室で一番出来る人なので一度会ってみて下さい。」と言われて、確か東大のキャンパスで会ってから交友関係が始まった。去る11月20日に送られてきたE-mailの一部を本人の快諾のもとに引用する。
      「小石河様  すっかりご無沙汰しております。深澤です。その後お変わりありませんか。こちらは以前お話したときの不調をあいかわらずひきずっておりますが、何とかやっております。久方ぶりにHPを訪問させていただいて、充実ぶりに圧倒されました。エッセイなども実に興味深いものでした。・・・・」  このあと別件の話が続くが、その内容というのは一橋の大学院の女子学生が占いの社会学的研究で修士論文を書くのを手伝って欲しいと言うことであった。私のサイトのどこが面白かったのか電話で聞くと、人間観察が優れていて、今まで知らなかった個人史の一部をかいま見ることが出来たのもよかったということであった。これからもがんばるので、皆さんも懲りずにのぞきに来て下さい。  12/31

 

 

  忘年会もピークを越えた。ちょうど湾岸戦争直前か、すでに始まっていた頃、90年か91年暮れに電通の社員の忘年会パーティがあり、そこへゲストとして呼ばれてサダム・フセインがどうなるか発言を求められたとき「フセインの人相は顔の下半分がしっかりしているので簡単には倒れない。何らかの形で生き残るでしょう。」と予想したら、果たしてその通りになった。湾岸戦争で絶体絶命と思われたフセインは生き延びてしまったのである。現在アメリカはイラクへの先制攻撃を着々と準備をしているが、よほど徹底的に叩かないと今回もまたフセインは生き残る。フセインの人相は俗に言う下ぶくれで、頬から顎にかけてが非常にがっしりとしている。人相では顔の上から下に流年をとる。髪の生え際から額のあたりが初年で、目から鼻にかけてが中年、口から顎にかけてが晩年になる。同じ独裁者でもヒトラーは頬から顎にかけてがやや貧弱である。だから連合軍に追いつめられて最後は自殺してしまった。   12/25

 

 

    今日、12月14日は赤穂浪士の討ち入りの日だ。しかも1702年だったからちょうど300年経っている。旧暦のその日だから1703年1月30日であったが、元禄15年の12月14日に47人の浪士が吉良邸に討ち入って、本懐を遂げた。この赤穂浪士の中でも一番の剣術使いは堀部安兵衛であった。安兵衛は播州赤穂の堀部家に婿養子に入ったので旧姓は中山と言った。この安兵衛もこのあいだ書いた高野さんと同じ越後の生まれである。
     私が小さい頃住んでいた新宿区戸塚1丁目(今は西早稲田3丁目)には安兵衛湯と言う銭湯があった。私の家は当時材木屋で大工さん達が使い残して余った材木が沢山あったから、斧で割って薪を作り、それらを燃やして風呂に入っていたので銭湯に行く機会はそれほど無かったが、たまに何かの事情で風呂が使えなくなったとき、安兵衛湯に行ったことを覚えている。その安兵衛湯からさらに3分ほど歩くと、「中山安兵衛 高田馬場 決闘の跡 」という石碑が建っていた。はじめはこれは一体何なのだろうと子供心に思っていたが、だんだん大きくなるに連れ、その事情が分かってきた。
   仕官のかかった御前試合に不覚をとった村上庄左衛門という者が相手の菅野六郎左衛門に果たし合いを申し込み、卑怯にも中津川祐範という相当な使い手を助太刀に頼み、数人で取り囲み菅野をメッタ斬りにしてしまった。江戸で最も親切にしてくれた、義理の叔父・甥の契りを結んでいた六郎左衛門の助太刀に遅れて駆けつけた安兵衛はこの光景を見て大いに怒り、当時、江戸一番の剣術の道場、堀内源太左衛門門下の四天王の一人といわれた安兵衛は荒れ狂って、その場で相手方全員を斬り倒してしまったということである。 (続く)  12/14

  もちろん安兵衛の方の助太刀は村上庄左衛門が卑怯なことをしたときのみ助けてくれという菅野の要請を受けてきたのである。義理の親戚関係とはいえ一種の仇討ちを果たしたことになる。

  安兵衛は剣だけでなく書道も一流であったので高輪泉岳寺の義士遺品館には頼まれて書いた店の看板などが残っているそうである。以前私は高輪1丁目に住んでいて、泉岳寺が最寄りの駅だったが、まだその筆跡は見ていない。私自身、書には多少の心得があり、小学校6年のとき、新宿区で第2位になったことは前に書いた。江戸時代には書の達人が多く、20年以上前、まだ私が高田馬場の近所に住んでいた頃、ある夜ソーブン堂という本屋で、マール社から出ている江戸期の書家、市河米庵の「五体墨場必携」という小さなB6版ぐらいの本を手にして開いたら、その流麗優美で品格のある筆致に、書における美のイデアとはこういうものなのではないかと呆然と立ちつくしてしまったことがある。そのときは金がなかったので買わないでしまったが、今買ってもたったの780円の上下本である。何年か前、思い出してそれらを購入して、今でも寝る前に時々眺めている。

  安兵衛の話に戻ると、生涯二度の仇討ちに巡り合わせた安兵衛は各所の大名屋敷に代稽古にも行っていたので当時の一流人士からも好まれた、まことに魅力的な人物であったそうだ。討ち入りの後、切腹したときはわずか34歳であった。 12/20

 

   

   11月17日日曜日は新潟へ出張した。新潟県の地方の名士、宮澤さんに依頼されて高田にあるコヅマヤ宝石店でまとめて占いをすることになっていた。午前10時12分東京発の上越新幹線で越後湯沢まで行き、そこから北陸本線で直江津まで行った。 直江津からタクシーで高田にあるコヅマヤ宝石店へ。そこで2,30人の予約客を見て、その後、夜の8時を回ってから宮澤さんに連れられて駅前の富寿司という鮨屋へ行く。ネタは東京のよりもうまい。マグロもうまかったが特に日本海の甘エビはプリプリとした弾力のある感触で東京ではなかなか味わえない。宮澤さんは背が高く快活な性格で、人望があり、来年ロータリークラブの会長が予定されている。優秀な息子が二人いて、二人とも慶応ボーイである。
  越後湯沢から直江津へ行く途中、塩沢という駅に止まった。なんとなく聞き覚えのある名前なので、「待てよ、ここは、かの女流冒険家、高野孝子さんが生まれたところなのではなかったか」と思い出した。すでに南極と北極を踏破し、 カヌーでワニや人食い土人の出るアマゾン河の河下りも達成している高野さんは15年ぐらい前、早稲田大学派遣留学経験者のOB会で知り合った。早稲田関係の知り合いの中でも最も面白い人の一人である。現在スコットランドのエジンバラ大学で環境関係の研究員をしている。ホームページecoclub.org/もあるから一度覗いて見てほしい。(続く)   11/20

     さてこの高野さんが作曲家の坂本龍一の友人で、坂本さんが音頭を取って出版した「非戦」の翻訳の一部を受け持っていたため昨年の暮れ日本に戻ってきたということは何週間か前のここに書いたとおりである。「非戦」という本はタイトルから見てもわかるとおり、ブッシュの報復戦争に抗議する本である。衆議院 第一議員会館で出版の記者会見があったので高野さんに会うためにノコノコと出かけていった。記者会見が始まる前に待合で木枯らし紋次郎の中村敦夫議員と世間話をするおまけがついたが、いよいよ始まった記者会見での坂本龍一の高名な割にはナイーブな平和主義の話を聞かされた。またアフガニスタンで奉仕活動をしている女医さんの長い話があったりして記者会見が終わり、やっと高野さんと会うことが出来た。ずいぶん急がされて翻訳をしたらしく、「目から血が出るのではないかと思った。」と言っていた。

デジカメを持っていたのでツーショットをお願いした。「これもウェブに 載せるんですか?」と高野さんが聞いたので、「いや載せない、載せない。」とつい言ってしまったため、普通は事後承諾でやってしまうのが、今回は一年経ってから事前に彼女の許可を得てここに載せることにした。実は高野さんは私よりも背が高く、173cmぐらいある。それでちょっと背伸びをして背の高さをサバ読まさせてもらった。(続く) 11/29 
  パレスチナの人々などはあの世界貿易センターに突っ込む場面を見て日本で言えば万歳をしていたそうである。アメリカの一人勝ちを垂涎の眼で見ている貧困や絶望的状況から抜け出せないでいる人たちからみれば、 金儲けの牙城への自爆テロは不公平に対する抗議の英雄的行動に映ったことだろう。世界貿易センタービルの災害を引き起こした原因はアメリカ自身にある、というアメリカのこれまで行ってきた帝国主義的世界侵略に対するアメリカ人の自己反省が、この「非戦」という本を単なる戦争反対本ではなく高野さんのメールにもあったが、確かに「通常の大手のメディアからでは気づかない視点や情報を提供している。」とりわけアメリカの環境関係の 学者やジャーナリストのコメントには傾聴に値するものが多かった。被害にあった人たちはアルカイーダにだけ憎しみを向けるのはお門違いで、石油利権のロビイストらと結託しているブッシュ大統領にこそ向けるべきであろう。ついでに言えば、マスコミは視聴率や、販売部数に影響されるためスタンピード(stampede)現象を起こしがちである。何かにびっくりした家畜などが集団暴走することで、特に日本のマスコミはこれがひどいようだ。12/02
  
  

 

  珍しい銀座4丁目の交通事故

  

中央通り(銀座通り)は徐行して走る車が多いので滅多に事故は起こらない。ところが11月13日午後3時半ごろ、ちょうど用事で銀座三和ビルの「イズム銀座」(私が利用しているレンタルオフィス)から表に出たとき、ボコンと鈍い音がしたので、急いで松屋通りを曲がって中央通りに出てみると、グレーのベンツと赤のボルボが対面衝突をした直後だった。急いで イズムのキャビネットに置いてあったデジカメを取り出して、もしかしたら不謹慎なのかも知れないと思いつつも、撮影させてもらった。
  後で、産経と読売に連絡したら、写真に興味があると、それぞれ内藤さんと鈴木さんという方々が来て、一人はコンパクトフラッシュをコピーし、もう一人は借りていった。その交換条件として事件のあらましを後で教えてくれ るようにと頼んだら、それぞれ簡単に報告してくれた。
  それによるとベンツのドライバーが中央通りに駐車をしようとしたときブレーキとアクセルと踏み間違えて突然前方に車が走り出し、対向車の赤いボルボとぶつかり、歩道に乗り上げ、店(田屋洋品店)に突っ込んだということであった。この事故で歩行者1人(69歳)、車3人、店員1人、計5人が怪我をしたということである。
  竹中平蔵さんの運転もブレーキとアクセルをしょっちゅう踏み間違えているのではないだろうか。この場合は怪我人5人ではとても済まされない。   11/14
 

 

   最近は無線LANをやっているところが増えてきた。現在私が使っているノートパソコンは超薄型で比較的画面の大きな東芝ダイナブックである。 これにはワイヤレスのモデムが内蔵されている。ヤフーBBが試験的に無料でやっている無線LANを秋葉原のラオックス・コンピューター館の西村さんという素敵な女店員さんに教わって、しかじかの手続きをとってやってみたら、うまくつながった。スターバックス、ドトール、マクドナルド、ルノアールなどで設備のあるところは何時間でも無料で自分のノートパソコンから 高速のインターネットができる。銀座と秋葉原のルノアールでは電源までサービスしてくれる。これは本当にありがたいことだ。今まで時間の都合でなかなかホームページの更新ができなかったが、これでどこにいてもいくらでも更新ができるようになる。

   ここ3日間ぐらい、この無線LANに関わるインフラを作るのにかかりっきりで、ノートパソコンにも今まで入れていなかったホームページ作成ソフトを入れ込んで、今さっき前回のエッセイを少し手直ししてFTPで飛ばしてみたら、うまく更新できた。今書いているこの文章も同じ秋葉原のルノアールからこれから飛ばすことになる。これでサイト全体も時間をかけて手直しすることができる。 11/10

 

 

 

  金曜の朝、民主党の石井紘基衆議院議員が刺殺された。知り合いの右翼による私的怨恨であったようだ。偶然ではあるが実は私はつい1ヶ月ほど前に、衆議院第一議員会館にある石井紘基事務所を訪れたばかりなのである。早稲田の政経を出て新聞記者をしながら一度は国会議員になろうとした年長の友人、宮田修さんがたまたま石井紘基議員の秘書をしていたからである。ここを訪れたのは初めてで、そのとき石井先生はいなかった。事務所の中には小さなテレビがあって、宮田さんが私と話をしながらもチラチラと相撲の中継をみていたのを覚えている。宮田さんはモンゴル出身の旭鷲山の後援会長をしているので、大相撲の期間中はテレビに張り付いている。特に先場所は貴 乃花の復活がかかっていたので、相当に熱が入っていたようだった。宮田さんはまた「東京マスコミ政経塾」の塾頭もしている。今年の春、 なかなかしっかりした体制批判をする経済学者、慶応大学経済学部の金子勝教授がそこへ講演に来たとき、私を誘ってくれた。

    金曜の午後3時頃駅のプラットフォームで電車を待っているとき隣の人が日刊ゲンダイの一面を見ていて、デカデカと石井紘基刺殺の報がその一面トップに出ていたので、その場で早速、携帯から宮田さんに「大変でしたね」と連絡し、後日またゆっくりお話しすることにした。 

  昨年別の用事で衆議院第一議員会館を訪れたことがある。幻冬社から出版された、作曲家の坂本龍一が中心になって作った「非戦」という本の記者会見があり、普段英国にいる友人の高野孝子さんがほとんど英文がオリジナルの「非戦」の翻訳を坂本氏の懇請にあって引き受けたため、10日間だけ日本にいるとメールが来たので、彼女に会うために行ったのである。記者会見はなかなか始まらず、そのとき坂本龍一の知人である「木枯らし紋次郎」こと中村敦夫参議院議員と待合いで隣り合わせとなり、おしゃべりをする機会があった。この別の用事の件は、これはこれで考えさせられたのでまたこの次にお話しすることにしよう。 10/27           

 

 

  10月18日の金曜日は株価の終値がやっと9000円を超えた。その前の週は一時は8200円割れになって、一体日本経済はこれからどうなってしまうのだろうと思わせられた。我々国民も「経済がよく分からないので、こんなになってしまいました」では最早済まされない。私の所へ予約で来る人などに聞いてみると、やはり一様に不安に思っている。10月19日Japan Timesの共同通信の英訳による小泉首相の演説のサマリーを読むと、(なるべく英字新聞で情報を取りましょう)以前とたいして変わっていない。相変わらずの「構造改革なくして景気回復なし」である。竹中平蔵氏の経済観はサプライサイドに重点が置かれており、アメリカの保守的な経済学者や評論家などが応援するので、それでいいのだと思ってしまうのだろうか?確かに郵政三事業や道路公団を民営化していく作業は長期的には有効な政策であるし、その意味での構造改革は必要であるが、不良債権の拙速処理がデフレスパイラルを加速して、新たな不良債権を発生させ、ますます不況の泥沼に落ち込んでいく悪循環にはまっていくのではないだろうか。 (続く)10/20

     経済というのは世界が100人だったら分かりやすいのであろうが億単位の人口で政府と民間団体が織りなす経済活動の実態を適性に把握し、それをよく機能するように導くのは簡単ではない。丁度宗教や哲学が究極的実在というものが目に見えないところに存在するので真正な宗教とそうでない宗教、真正な哲学とそうでない哲学の区別が付きにくいのと同じである。実際、現在の経済学は形而上学的な人間の行為一般というものとの根源的な摺り合わせが行われていないため、欲望とモラルのフィードバック運動をする人間性に基づいた経済活動の原理がまだ把握されているわけではない。そういったものがあればバブルとその崩壊は避けられたかも知れないのである。それというのも人間性の存在構造が人文の分野で明瞭に定式化されていないために起こるやむを得ないことではある。そこで経済学では生産、消費、労働などを定量化して外面的な部分を中心としたいわば暫定的な数式と蓋然的な見通しによって一定の法則を導き出そうという具合に話を進めて行かざるを得ないのが現状である。しかし経済学を学び一定の訓練をすれば金利の上下などいくつかの基本的ファクターを用いた連想ゲームが出来るようになり景気判断の洞察などは入るようになる。そうするともともと普遍的レベルではない経済学の法則などは簡単に無視されて後は勝手放題のデマゴーグの世界となりやすい。宗教のカルトリーダーたちの言うことに惑わされて右往左往するような状態にならざるを得ない。今の日本がそれである。  10/21

(近いうちに日本経済を考えるセクションをこのサイトにも作ろう)

 

 

    ベルリン芸術大学を首席で卒業しヨーロッパの国際ピアノコンクールでも3位に入賞して、つい先頃日本に帰ってきた若手の女流ピアニスト潮田侑樹さんと秋分の日に池袋のメトロポリタンで食事をする機会があった。生演奏の醍醐味は何といっても聴衆が音の魔力に引き込まれて演奏の後、熱狂的に立ち上がって拍手をしてくれることである。そういうのを狙うのだがなかなか出来ないと彼女は言っていたが、私はアメリカの大学にいた頃、年に一回あるタレントショーナイトというのに出場して、運良くそのようになったことがあった。
    私の場合は中学の頃から仲間と一緒にクラシックとフラメンコを練習していて単に趣味でギターを弾いていただけであるが、大学の中で優勝する程度の実力は持っていた。カラマズーカレッジで年に一回タレントショーナイトというのがあって、30組ぐらいのコンテストとなったがその第1回目に私は優勝してしまった。私の出し物はクラシックギターとフラメンコギターの2曲であった。はじめに映画の「禁じられた遊び」の主題歌の「愛のロマンス」を情緒たっぷりに弾き込んでおいて、そのあとフラメンコのファルッカを演奏した。アメリカの中西部の人たちはフラメンコなどは聞いたことがない人たちがほとんどだから、ラスゲアードドブレという音を連続的に間断なく掻き鳴らしていく弾き方をすると、一体どうやってあんな弾き方が出来るのだろうとビックリしてしまう。 (続く) 9/25 

   土曜日の夜、場所はダルトン・セアターという学内にある大きな劇場であった。実は私の出た順番もよかった。終わりから3番目ぐらいだったろうか。スピーチコンテストなどでもそれぐらいの順番が一番いい。最初の方に出ると審査員の方でレベルに応じた点の付け方が分からないので高得点が入りにくいのである。相手は白人がほとんどで、聴衆もほとんど白人なので舞台に立つと神経がピリピリしたが、エネルギ−を燃焼させるのには丁度よかった。「よーしいっちょうやったる」という気になって、二番目の出し物のフラメンコを弾くとき、最後の部分に入って、はじめはゆっくりと弾きながら、だんだんとジャランジャランとラスゲアードの速度を速めていって、腕を回転させて弾くラスゲアードドブレに切り変えて突っ走っていって、最後の30秒を怒濤のように掻き鳴らして、そのまま一挙にフィニッシュを決めると、私が立ってお辞儀をしたとき、吸い付けられるようにして聞いていた聴衆が我に返って、熱狂的な拍手と歓声が起こり、満場総立ちとなった。とりわけ前の方の席にいた日本人留学生の鶴岡君が興奮して、「すげえや!、マサ、すげえや!」と日本語であたり構わずわめき散らしているのが聞こえた。翌日私がカフェテリアでランチを取っていると、女子学生達が私のテーブルに坐りたそうにしてモタモタするという一幕もあった。また翌週、当時、テカンドー(韓国空手)を体育の科目で取っていたので、そのクラスに行くと、ブルッキーという私が比較的仲良くしていた女子学生の年子の弟、ジョン君が寄ってきて、「姉ちゃんの友達が優勝して、俺は嬉しくてたまらない。」と言った調子で練習のとき、至近距離で拳を振り回してくるので、危なくてしょうがなかった。  10/5

 

 

  床屋でラジオを聞くともなく聞いていたら。和田アキ子がこの夏アメリカのテネシーかルイジアナ辺りの音楽を聴きに行ってきたらしく、9月11日が近づいてきたのでアメリカ本土は警戒厳重で、空港の出入国のチェックを通過するのが大変だったと言っていた。私の場合は8月17日にハワイのオアフ島のホノルル空港へ入ってから、3時間ぐらい待ってマウイ島のカフルイ空港に降り立ったが、全然楽に行くことが出来た。

  カフルイ空港では妻と子供が待っていて、そのまま車でマウイ島の南にあるワイレアに行き、海の見えるレストランで食事をした。妻と子供はワイレアから10分のキヘイというところに住んでいて、そこも海岸沿いで、夕方は毎夕、海に沈む太陽を眺めながら、毎日違う雲の様子に対する光の反映を楽しんでいる。

  マウイ島の西北にあるラハイナの港町は昔、ハワイ王朝の頃は首都だったところである。ラッセンのリトグラフで有名な赤い屋根のパイオニア・インのすぐ隣には広場があり、そこには樹齢千年ぐらいと思われるバンヤン・ツリーと呼ばれる木がある。バンヤン・ツリーの絵はがきを買ってどこかにあるので、今度ここに貼り付けておこう。

   12年間廃校になっていたラハイナの小学校が某有力な女性の手によって今秋から開校することになった。その女性が小学校の先生の資格も持っている私の家内に手伝って欲しいと言って来た。家内も迷った末、引き受けることにしたので、キヘイから車で30分もかかるラハイナにしょっちゅう行かなくてはならなくなった。8月19日、家内が学校で打ち合わせがあるため、昼前にラハイナへ行って、学校に家内を残して、娘の令奈と二人でラハイナ見物をした。ラハイナは海岸沿いの通りの両側に画廊やアパレルの店、ギフト・ショップ、シーフードレストランなどが並んでいる、素敵なところである。バンヤン・ツリーの広場の手前、道の反対側にあるワーフという大きな建物の前で家内の車を待っていたが、なかなか来ない。

ふとみると広場の側で、こちらの方に向かって何やらがなり声を出してわめいているスターウォーズの悪役みたいな感じのクレイジーな黒人がいた。よくよく聞くとギターを持ったその男は宣教師のまねごとをしていたのだ。退屈紛れにその男のそばへ行って一緒に写真を撮ってもいいかと聞いたら、OKと言ったので、令奈ちゃんに撮ってもらった。(続く) 

    20日は既に去年から泳げるようになった令奈ちゃんが、私をスノーケリングに連れて行くというので、しぶしぶ付き合うことにした。マウイ島の近所にはモロカイ島とラナイ島と二つの小島がある。朝10時半に集まって観光客達が100人ぐらいボートに乗って出発し、魚が集まるそれぞれの島の岩場でスノーケリングを楽しんだ。口にスノーケリング用の呼吸器をはめ込み水中眼鏡で海面から海中をのぞくということになる。水中を観察していると、なるほどきれいな熱帯魚が人間を全然怖がらずそちこちに泳いでいる。お馴染みの縞模様の魚たちや黄色の熱帯魚など、水族館で見るよりは大きい魚たちが何匹かで群をなしているケースが多い。

  はじめにモロカイ島へ行き、次にラナイ島へ行った。ラナイ島はマイクロソフトのCEO、ビル・ゲイツが結婚式を挙げたところである。高速で進むボートの速さによって引き起こされる風に吹かれて、船首にいると、いるかの棲息する所でボートが速度を落とした。すると人なつこいイルカたちが寄ってきて一緒に進みながら泳ぎ、あるいはジャンプして、思いがけなく素晴らしい光景に遭遇した。 9/16 

 

 

 

  もともと私は東京育ちであるが小学生の頃は毎年夏に母の実家の静岡県の清水に行った。清水は「昔、次郎長。今、エスパルス。」と言われるように、東海道一の大親分、清水の次郎長の出たところであるが、今ではサッカーの清水エスパルスですっかり有名になった。この清水も来年は静岡と合併して名前が消えてしまうのは残念である。

  清水ではよく三保の海水浴場に行った。小学校3年までは泳げなかったが、4年になって突然泳げるようになった。海水なので、はじめは頭を出して首を振り振り泳いでいたが、おもしろくなってどんどん改良していった。私の行っていた新宿区立戸塚第一小学校には25メートルプールがあったので、そこでもどんどん改良していったら、6年の頃にはクロールも平泳ぎも1位を取るようになった。オリンピックのテレビを見て、確か平泳ぎのマーク・スピッツの泳法をまねて、掻き方を工夫して、普通の泳法よりも抵抗の強い方法を取り入れたら、中学のときは水泳部の生徒よりも速くなってしまった。

  清水には南の方に船越山というところがあり、よく昆虫採集をしに行った。東京近辺では見かけない模様をした風格のある黒揚羽がいたので、何とかして捕まえようとがんばったことがある。紋白蝶や普通の揚羽蝶はしょっちゅうヒラヒラと飛んでいるが、その蝶は滅多に見かけない。大体が高いところを飛ぶ癖のある蝶なので難しかったが、いろいろとタイミングを計って、あるときとうとう捕まえた。今思うと、普通の紋白蝶や揚羽蝶なども必要以上に捕獲したので随分ひどいことをしたと反省している。それはそれとして昆虫採集でじっと待ってから素早く取る捕獲能力を養ったのは何かの役に立っているかも知れない。私が自分の奥さんをうまく捕まえたのも、ただお互いに好きだったからのみではなく、多分に男女の心理を応用した計略に負うところがある。  8/17

 

 

 

   先日、上智大学へお邪魔した。SJハウス(学内にある修道院)で高柳先生に会うためだった。この先生はカトリック神学と英語の先生で、3年ほど前、世界的に高名なプロテスタントの神学者北森嘉蔵先生のお葬式のとき、まことに優れた追悼の辞を述べられたので、以前から一度会ってみようと思っていたところ電話をしたらうまく面会が可能となったので、行くことになった。一時間ほどSJハウスの応接室で談笑してから、帰りがけシェイクスピアの研究家で有名なピーター・ミルワード先生はいるかなと思い、受付で聞いてみたらまだ生きており、SJハウスの中にいるということだった。アポを取っているわけでもないので、「今度連絡します。」と受付の女性に言うと、「今でも大丈夫ですよ。電話しましょうか?」と言ったので「それでは」とお言葉に甘えてお会いすることにした。5分ほどするとだいぶお年を召されたミルワード先生が受付に来て、私を見るなり、ルネッサンス・インスティチュートへ行きましょうと言って、そこからしばらく離れた図書館のある建物へと連れだって歩き始めた。

  そのビルはエレベーターが一つしかないので学生と一緒の満員のエレベーターに乗って、7Fまで行った。ルネッサンス・インスティチュートは図書室の別室となっていたが、かなり大きなスペースであった。ミルワード先生はここの館長も兼ねていた。とてもかわいらしい、まだ大学卒業したてといった秘書の女性がいて、紅茶を出してくれた。

  ミルワード先生とはかなり前或るパーティでお会いしたことがあったので、まずはその頃の話から始まった。以前アメリカンクラブで日本のフリーメイスンの人たちが主催したパーティでミルワード先生がゲストスピーカーに呼ばれてシェイクスピアについてのお話をしたことがあった。そのときの話では先生によるとシェイクスピアの本来の意図は憐れみにある、ということである。様々に対立した人間の世界の中でそれらを救済し統合していく原理である。確か最後のドラマ「テンペスト」にその意図が明確に出ているということであった。
  たまたまその日は私がカラープリンターで印刷した「クラウスのマンダラ」(このサイトのKlaus Mandala参照)を持っていたのでその図を見せると、ミルワード先生は大変興味を示された。このシェイクスピアの碩学に一見しただけではよく分からないクラウスのマンダラの図を生の衝動の構造として説明すると、ミルワード先生はそれについて英語で書いてあるものが欲しいと言い出したが、残念ながら今のところ私のこのホームページに載せてある日本語版だけで英語版は用意していない。どうやらこれは評判がいいのでそのうち暇が出来たら英語でも書いておくことにするつもりである。一方ミルワード先生も私がかねて疑問に思っていたこのマンダラ図の四隅の暗がりにあるライオンなどの図の意味について、それらが四つの福音書を示す象徴であることを教えてくれた。
    ふと先生の灰色のジャケットの袖を見ると、先がすり切れており、黒い下地が見えていた。何十年も同じものを着てきたに違いない。 amazon.co.jp で検索すると53冊もの著作が出てくる先生は印税だけでも相当の収入が入るに違いないが、神父さんは金儲けをしてはならないことになっているのであろう。服装に無頓着なのかも知れないが清貧に甘んじる先生の別の側面を見ることが出来た。アポ無しで2時間以上もお邪魔してまたの再開を楽しみにして別れた。 8/1

 

 

 「内村鑑三の『代表的日本人』を読む」(岬龍一郎著、致知出版社)という本を見つけた。内村鑑三は新渡戸稲造と並んで明治期のキリスト教の知識人で「代表的日本人」はもともと英文で書かれている。以前から私はかって日本がアメリカに対して行った真珠湾奇襲攻撃についてそれが事前にアメリカ側に密かに知られていたにせよ、日本人の卑怯なだまし討ちとして一般のアメリカ人が見ていることに対して悲しく心を痛めてきた。この出来事は日本と日本人に対する不名誉な記録である。 「パール・ハーバー」というハリウッド映画もまたそれを蒸し返している。最近の湾岸戦争で「金だけ出して人を出さない日本」と言われたのも不名誉な記録ではなかろうか。
  「代表的日本人」は日清戦争の頃、日本が正義を愛する国家であることを世界に知らせるため、武士道精神を体現した5人を選び、それぞれについて解説したものである。武士道精神とは義を尊び、高貴な義務に自らを仕えさせる公共的精神である。西洋でもノブレス・オブリージュ noble obligation と言って、イギリスの紳士道、フランスの騎士道、などがあり、日本の武士道もそれに並んでいる。選ばれた5人とは、西郷隆盛、上杉鷹山、二宮尊徳、中江藤樹、日蓮上人であった。
  アメリカの有名大学では学内の購買部では、内村鑑三の「代表的日本人」、新渡戸稲造の「武士道」、岡倉天心の「茶の本」が日本研究の基礎としてセットで売られているということであった。アメリカにいた頃いろいろな大学を回ったので、そのようなセットが必ずしもすべての有名大学にあったとは思われないが、それでも日本研究を始めたアメリカの若者達は日本人は決して卑怯者などではなく、皆同じように正義を愛する人たちなのだということを知ってくれる。ケネディ大統領も内村の「代表的日本人」を読んでいたから上杉鷹山を理想の政治家としていたことは有名な話である。私は内村鑑三がそのようなやり方で日本の不名誉を救ってくれてきたのだと言うことに思い至ったとき、ひとり道を歩きながら有り難くて涙が溢れてきた。だがこの本はアマゾンドットコムで調べたところ、既に廃刊になっている。私たち日本人は自分たちの名誉を守ることにもっと敏感になるべきではないのか。 5/11

 

  

 

 

  

  糸井重里の「インターネット的」によるとインターネットはお祭りとか賑わいの場所でもある。それでサイトを覗きに来てくれた人たちのサービスに、時には賑わいのある風景をご覧に入れようということで、今までここに載せておいた三人の女性の写真もちょっとした賑わいの雰囲気があったが、私が入っていな かったので入れ替えることにした。ちょうどこのころ誰かが撮ってくれた、もっと面白い写真があったのだ。場所は新宿西口のワシントンホテルのパーティルームで、丸茂ゆき子さん (左上の女性)の出版記念パーティの席である。丸茂さんは練馬区の丸茂病院の院長先生の令嬢で日本女子大家政学部出身、年はマル秘である。出版した著書は「健康生ジュース」(主婦の友社)という本で自宅で 果物や野菜を使って手軽に作れる数々のジュースを体のどこに効き目があるかを説明しながら紹介している。非常にいい本なので出来れば手にとって見ていただきたい。丸茂さんは人気のある人で、 海部元総理を筆頭にずいぶん大勢の人が来ていた。私の隣にいるのは、ご存知ガッツ石松さんだ。何で私がガッツ石松と仲良くできるかというと、実は私はかなりボクシングに詳しい。ガッツ石松が現役のとき、ゴンザレスという強い 世界チャンピオンと戦って、「幻の右」という、鋭い右ストレートがカウンターで決まって、ゴンザレスがよろよろとしたとき、一瞬遅れて気がついた石松がぱっと飛び込んで仕留めに入ったビデオが好きで10回ぐらい見た覚えがある。早稲田にいたときも体育の実技ではボクシングと合気道をとっており 、ボクサーの足さばきには目が利くほうで、ガッツのそれは非常に優れていて相当に工夫した跡が読み取れた。そのことを私が指摘して「ガッツさんのあの独特の足さばきは一流でしたよね。」と言うとガッツさんは非常に喜んで「みんなただ見ているだけで、そういうことを分か ってくれる人がなかなかいないんですよねー。」と意気投合した。 12/06

 

 

3月20,21日の二日間、佐藤康行氏が主催する真我開発セミナーhttp://shinga.comに参加してみた。2年半前の秋に初級のセミナーを二つ済ましてあったので今回は上級編に参加した。朝9時に集合してから夜の11時まで、翌朝5時に起きて、午後の6時ぐらいまでの二日間、外部との連絡も絶っての集中セミナーだった。期間中は今までに習い覚えた知識をすべて取り払って、佐藤師の導きのままに任せることになっている。
   「天使の光」と名付けられたこのセミナーでまずやったことは、すべてを捨て去ることであった。鉛筆でA4の紙に自分にとって大事なものを具体的に記しつつ、それらを捨てた、と書いていく。そして最後に自分までも捨てさせる。心の底から決意して捨て去ると、大きな変化が起こってくる。今まで見えないままにしがみついていたものから離れて、何もなくなっていく。このとき初めて宇宙の愛と一体となっていく道が開けてくる。
  いろいろなものを捨てまくっているうちに、禅宗で言う「胸中無一物」と言う言葉が浮かんできた。また福音書にあるイエスの言葉、「自分の命を得ようとするものはこれを失い、命を失うものはこれを見出す。」と言う言葉を思い出した。全部を捨て去ったとき、すぽっと落ち着き、心が無意識の奧へとつながっていくのがわかった。意識のアセンションを引き起こしたのである。セミナーはこれが入り口で、まだまだ面白いことがいっぱいあったが、興味のある方は自分で参加してみるのがよいと思う。  3/25

 

    最近は夜の会合に出ることが多くなって、銀座の道端で占いをする日が削られるようになってきた。そういう日はなるべく事前にホームページのてっぺんで知らせるようにしよう。日本の危機を何とかしようなどというような会合があるとつい行ってしまう。
    先日早稲田の先輩で政経出身の宮田修さんの主催で「東京マスコミ政経塾」というのが衆議院第一議員会館で有った。竹中大臣の経済政策に反対している、「月光仮面の経済学」を書いた慶応大学の経済学部教授、金子勝先生の講演会兼親睦会であった。疲れていたので、半分居眠りをしながら聞いていたが、この人は経済がよく分かっている。いろいろな局面を含む質問に対してもきっちり対応した答えがすぐ出せるからである。 2/27

 

  先週、日本総研でのある会議と早稲田の村井実先生が主催する村井塾という二つの会合で、日本の政治をどうするかということで意見を求められた。

  日本の政治は実際機能不全に陥っている。国家百年の計を立てながら手を打っていくような政治家はひとりもいないのである。政治家となるにふさわしい人材が政治の世界に入ってこられるようにしなければいけない。 

     昨年4月頃週刊ダイヤモンドで日本の政治をどうするかの特集があり、10ほどの提案があったがすべて永田町を小手先でいじくるようなものばかりであった。プラトンは哲人政治を提唱したが、まさにここは哲学的な洞察力を持ってあたらなければ切り抜けられない袋小路に追いつめられているのである。

   哲学で存在と言うとき、それはむしろ上位の存在であり、生命存在とその延長上にある神を指す。そのような生命存在は生成するものであり、その生成はよく機能していることが重要である。社会もまた個体の集合体であり、それはよく機能していなければならない。

   では日本が国家としてよく機能するにはどうしたらよいであろうか?それには国家の中心部分である政治家と官僚がよく機能するようにならなければ、国家全体がよく機能するようにはならないのである。結局そうなると、優秀な政治家と優秀でしかも良心的で謙虚な官僚に総入れ替えしてしまうのが一番である。そのための条件を考えてみることである。    2/4

       一般に政治家になりうる人というのは選挙で落選しても飯が食えるような人々である。普通のサラリーマンはそうはいかない。事業で成功した人かその2世、あるいは医者、弁護士のように落選しても差し支えない人々である。サラリーマンでも最近は欧米でMBAを取ってきた人たちが徐々に増えている。この人達は外資系の会社に再就職するのにそれほど困難ではない。頭脳優秀で国際感覚があるし、英語も使える。こういった人たちを選挙に立候補することを前提にして夜間や週末に政治学校を開いて教育し、無党派層に呼びかけて、草の根の政党づくりも整備していけば、今のような閉塞感の強い時期には、あっと言う間に支持者が集まることであろう。

   仮にこの政党をMBA党として、MBA党の人たちが増えてきたら、法案を作り、現在のような東大法学部偏重の官僚システムを破壊していくことである。たとえば一定レベル以上の海外の大学のマスターやドクターの学位を取ってきた人を優先するようなシステムに切り替え、社会経験の豊かな広い視野を持った人材を、様々な分野から、出たり入ったりが可能な形にしていくことである。

   政官財の癒着を取り払って行くには二大政党が政権を交代し、その都度官僚の上層部も交代するようにしなければならない。そのような方向に我々が誘導していくことに成功すれば、当面国家の中枢部はよく機能するようになっていく。   2/11

   

 

   昨年、暮れの29日に早稲田の穴八幡でコンピューターの手相占いの露店を出している森親一郎さんに挨拶に行った。森さんは今は全国の主な祭礼の場所を一年中回っているが、以前銀座一帯を取り仕切っていたテキ屋の親分でもある。暮れになると馬場下の穴八幡へ来る。森さんはこれでも早稲田大学を出ているインテリやくざだ。昭和22年生まれだから54歳になる。早稲田で森さんと会うときは軽井沢にもある「茜屋」という炭焼珈琲店で会うことにしている。

    もう一回私の哲学の原理を説明してくれと言われたので、説明してやったら今度は分かったのである。 生命は分裂と統一の成長運動をしている。光のエネルギ−が生命の中へ入り、光のスペクトルへと分裂し、光へと統一する。分裂したままだと生命は壊れてしまうから必ず元へ戻るようにして統一する。その行ったり来たりを繰り返す。あたかも植物の幹が上に向かって成長運動を繰り返すように人間の心も未来に憧れて成長していく。このとき上の表層意識に向かって分裂し、下の深層意識に向かって統一する。つまり分裂の契機では不安定であり、統一の契機では安定する。このとき表層意識に向かって青と赤に分かれる。(このサイトの「自己コントロール」にあるダイアグラムを参照)その基本的衝動は雄性衝動と雌性衝動であり、その根源的部分は自尊心と快楽である。自尊心に引っ張られると高ぶり、快楽に引っ張られると気が緩む。自然にフィードバック機構が働いて深層意識の光の中心部にある黄色(道徳性)と緑(信念)の方へ反省的な力が働いて謙遜や憐れみ、責任性などという形で収束する。そこで自尊心を傷つけられるような嫌なことがあっても許してやって、なるべく早く素直な心(黄色)に戻り、快楽にとらわれて気が緩みそうになったら、引き締める(緑)のだと言ったら、「ああ、なめられないようにするんだな。」「両方を下の方へ戻して安定させるんだな、あーそうすると自由になるんだ。よし分かった、これを全国に広めよう。」と言い出した。

   こういった「光の範型」のような生命運動の全体を写し取った事態の構造を生成のロゴスという。これは言語の意味の生と死、善と悪を極性として含み、根本的な生のダイナミズムの概念となっている。一見何の変哲もない光の分裂と統一を意識との関係で位置づけたもののようであるが、実は究極的な生成のロゴスが隠れているのである。   1/8

 

 

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