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エッセイ2大晦日になった。今年は9月11日のテロ事件があったので、私の考え方も社会哲学の方にシフトするようになった。私の考えの基本にある光の分裂と統一による生の成長運動の原理は集合体としての人間の原理でもあるから、それを応用して集合的な場面での生は本質的にどのような形態をとりがちで、またその適正なあり方は何であるか、社会との関係で掘り下げて、将来は社会哲学も打ち立ててみようと思う。 インターネットも人類に与えられた新しい社会形態だ。デジタルな世界を使いこなすことで我々の精神の成長運動は大きな拡がりを持つことが可能となった。使い方次第でほとんど無料で自由に我々自身を教育することが出来る。 インターネットは画像と相性がいい。デジタルカメラと周辺機器の発達で楽々と写真をホームページに取り込めるようになった。秋に購入したキャノンのPower Shot S20は334万画素なのでおよそ2000×1500ピクセルとなる。通常のデスクトップのディスプレイは1024×768ピクセルなので、これに合わせて加工するとたちまちオリジナルな壁紙を作ることもできる。 来年はこのサイトに美術館も設定して、私がいいと思ったいろいろな絵や写真を並べ、あらかじめ1024×768で切ったものは明示しておけば皆さんも壁紙としてすぐ利用できるというわけである。 12/31
ところでロータリークラブというのはもともと発祥の地はEvanston, Illinoisである。シカゴの北の郊外にあり、私はカラマズーにいた頃、マリー・アダムスという女の子の友達によく招かれてエヴァンストンの彼女の家に泊まりに行ったことがある。エヴァンストンには有名なノースウェスタン大学があり、マリーの父親はそこの医学部の教授をしていたのである。エヴァンストンにはディケンズの小説の題名をもじったThe Great Expectations という名前の本屋があった。倉庫をそのまま本屋にしてしまったようなところで、ここへ行くことが私の一番の楽しみであった。 さてラテン系の歌とギターで有名なアントニオ古賀さんが数年前にここの会長をしていた。この日はクリスマスパーティなのでギターと歌を披露してくれた。私も実はフラメンコギターを弾くことが出来るが、至近距離でこの日は見物してなかなか大したものを見せてもらった。普通ラスゲアードといってジャランジャランとギターをフラメンコ風に弾くとき、小指から人差し指まで使って下に弾いていく。ところがその弾きおろした瞬間に親指で下から上に弾き上げ、また小指から人差し指までで弾きおろし、それを繰り返していく奏法をラスゲアードドブレという。ドブレとはダブルのことだ。こうするとジャラジャラジャラジャラと音が連続的にとぎれず鳴り響くので、初めて聞く人などはビックリしてしまう。アントニオ古賀さんはこれを人差し指一本と親指でやってのけたのだから驚きである。 12/23
先週の土日と「日本代替・相補・伝統医療学界」の第5回大会が東京女子医大の弥生記念講堂で行われたので参加してみた。一日目は筑波大学の村上和雄名誉教授の遺伝子のONとOFFについての考え方が面白かった。生命エネルギーが統合状態になると遺伝子自体がプラスに活性化するらしい。たまたま私の妻が出産の時お世話になった松峰先生が東京女子医大で教えているので一緒に参加することにしていたのだが、この日の午後は「気」についての学会内部のシンポジウムみたいな感じだったのでスキップした。二日目は命と癒し、スポーツヨガ、ヨガの呼吸法、絵画による芸術療法、音楽療法などいろいろ面白い出し物を見学させていただいた。こういったものの根本は結局、様々な方法によってSomething Great(神)としっかりつながるということで、それによって気が増幅されて自然治癒力が促進され、結果的に病気が治るということである。生命エネルギーというのは光の分裂と統一による成長運動であるというのが私の哲学の基本的な考え方であるが、その統合状態の現出がこのような治癒能力の開発につながるのである。 12/11
昨晩、京王プラザホテルの5階のコンコード・ボール・ルームでウルグァイの前大統領フリオ・サンギネッティ氏を囲む晩餐会があった。知り合いの大脇先生に招かれたので、スピードスケートの元世界記録保持者でもある銀座の孔雀画廊の伊賀社長と一緒に行った。ここだけの話だが大脇先生が幹事だったため1万円の会費がタダで、フランス料理のコースをいただきながら、人脈も増やすことも出来た。500人以上が集まる大盛況の晩餐会であった。何しろあの有名なガットのウルグァイラウンドを指導して成功させた名大統領で、今は休職中であるが、また次期大統領になる予定である。会場で私と伊賀社長の座る45番のテーブルには10人ほどの人々が席に着いた。 (続く) 11/27
久しぶりにアメリカへ行くことになった。17日から28日までの10日余りではあるが一寸したバカンスにはなる。しかもテロのために飛行機はガラガラだ。19日から21日までの今度の週末に私が行っていたカラマズー大学で同窓会がある。だいぶ迷ってはいたが、結局今回行く気になったのは年代的にもバラバラな10クラスぐらいがまとまってやる、滅多にない大がかりな同窓会だからである。アメリカの大学では各学年を1クラスとして見るのである。同窓会のタイトルに「Enlightened Leadership」 とあったのもまた私を行く気にさせる動機付けをしている。なぜかというとこのタイトルは同窓会に来る人たちはよくできる成功者が多いということを発信しているからである。この集まりで新たな人脈を作り、さらなる成功を分かち合おうという趣旨が読みとれる。今さっき電話で宿泊の予約を入れたらカラマズーのダウンタウンにあるRaddisonという相当にいいホテルのトップフロアーの一室を取ることができた。こんなに遅れて申し込んだのにどうして取れたのだろう、テロの影響で来る人数が減って、キャンセルが続出したのではないかといぶかってしまう。
今度のアメリカのテロ事件を乗り越えて小泉内閣の日本経済の構造改革はうまくやっていけるのだろうか?「日本経済の再生」については2年ほど前、超整理法で有名な東大の野口悠紀雄先生が中公新書(no.1500)で書かれていた。景気を回復させるためにケインズ流の財政出動をして公共事業をいくらやっても波及効果が少なく、効き目はない。日本経済の構造自体が1940年体制という、全体主義的な体制になっているからだというのが野口先生の考え方である。不良債権の処理を進め、一方で収益の上がらなくなった企業は切り捨て、他方でITベンチャーのような創造的な企業を助成し、構造変換を促すことは重要であろう。株価なども政府が介入しすぎると底値がわからなくなるためかえって自立回復が遅れることがある。最近出た「よくわかる構造改革」(塚崎公義著、東洋経済新報)はなかなかよく書けている。そのなかで小泉内閣はケインズよりもアダム・スミスの「神の見えざる手」による調整を重視しているとあった(p.130)。だがそもそも、この経済学の父といわれるアダム・スミスの見識が問題である。経済行動の基本を自己利益という個人の利己的な動機に見ており、結果的に「神の見えざる手」で市場が調整されると思っていたからである。だからアダム・スミスの影響を受けているマルクスは資本家は搾取するものとしか考えなかったのである。おおかたの人にとって経済行動の基本はむしろお互いがよく生きようとする道徳的な動機の上に成立している。その上で適正な利潤が発生することを期待するのである。人間の経済活動の動機というものをもっと純粋で高貴なものを含む人間性の自然に根ざしたものとしてとらえないと間違えてしまう。そういったことと関連して、全体主義や社会主義に反対してきたオーストリア出身の経済学者ハイエクはSpontaneous Orderということをいっている。自然発生的な秩序を意味するこの言葉はマーケットに参加する個人個人の熟練した知識や情報によって下から自然に製品やサービスの価格が調整され、市場が良く機能していくことを示し、共産主義のような上からの統制ではそのような適正な調整が不可能なことを示している。ハイエクが日本に来たとき通訳をした上智大学の渡辺昇一先生に、しきりに老子のことをいっていたそうである。老子の無為自然とSpontaneous Orderはつながっている。実は今日はこのハイエクと老子について書きたかったのだが時間がないのでまたの機会にしよう。 10/9
早稲田大学文学部には名物教授がいた。二人ほど紹介してみよう。 二年の時に取った仁平田先生の教養課程の「宗教学」は漫談のような感じだった。学生たちもよくそれを知っていて満員の盛況だった。先生の方としては一般教養の授業にはもう飽きていたのだろう。仁平田先生とは先生の研究室で直接会う機会を得た。私は早稲田から米国への交換留学生の予定になっていたので二年の前期が終わってから何人かの先生に後期の授業は取れないということを報告しなければならなかったことがあった。それで、仁平田先生もそのうちの一人だったのである。私の方は「今度国際部の留学試験に受かりまして、早稲田の代表でミシガン州のカラマズーカレッジへ行くことになりました。それで後期の授業は出席できなくなりましたので宜しくお取り計らい下さい」とか何とか言ったのだと思う。自分の言ったことは忘れてしまったが、それに対してこの先生の言ったことはよく覚えている。私の報告を聞いた後、やおら、「よう、アメリカへ行ったらなあ、可愛い姉ちゃんがいっぱいいるから気を付けろい。」となかなか柄の悪いしゃべり方をした。 10/2
ハンチントンの文明の衝突論は2年ほど前、新書で読んだことがあった。今回のニューヨークのテロ事件はイスラムと欧米の衝突の低次元のレベルの例であろう。文化と文化が衝突するとそこに活性化がもたらされ、新しく混合された文化が発展することが多い。以前アメリカの大学にいたとき、歴史専攻のケント・ライトという友人が分厚い歴史のテキストを持っていて、この著者は「一つの文明が他の文明と触れ合うところで歴史は進歩する」ということをテーマにしてこの本を書いていると言っていたのをよく覚えている。
世界貿易センタービルのテロによる爆破で、私の家内の友人も一人行方不明になっているということがハワイからの連絡で判明した。その方の子供達は母親を亡くしたことになる。今回のテロ事件で父親か母親を亡くした子供達もかなりの数に昇るのだろう。そういう子供達には試練が与えられることになる。経済的なダメージはおろか、突然に愛が剥奪されることになるので適応するまでには相当な時間がかかるだろう。そのようなときに見失わないで欲しいのは素直さである。ひねくれたり、恨んだりすることなく、自分の身に起こったことを引き受けて、躓きながらも明るく歩んで欲しいと思う。人間に対する信頼を失うことなく、試練を逆に活かし、自分の中に統合して、そうならなければあり得なかったような深みのある人格に成長してくれることを願う。 9/18
ついこの間までハワイのマウイ島では年に一度のライターズカンファレンスが行われていた。作家と出版のエージェントを結びつけるカンファレンスである。ここに出席していた私の家内から連絡があった。この出席は大成功であったと。彼女の書いた小説 Sorrow of the Trees をすでに二つの出版社が是非出版したいと申し出ており、他に4人のエージェントが強い興味を示しているということであった。彼女には頭の中にアイデアがいっぱい詰まっており、今回書いたレベルでの小説を書くことはいくらでも出来る。ともかく一つの出版社から1冊出したら、後は徐々に小説家としての地位を築いていくことが出来るだろう。来年の夏は私も自分で英文で書いている宗教哲学の本 The Paradigm of Christ をこのカンファレンスに出席して決めてしまおうかと思う。 9/12
日暮里駅で降りてみた。南の方は山沿いのような感じで何もなさそうなので、北口へ出てみると、駅前広場に狩りをしている太田道灌の銅像が建っていた。広場に沿ってドトール、エクセルシオールなど、お馴染みのコーヒー店が並んでいる。ネットスパイダー(3805-8277)というインターネットの専門店に入ってみた。1時間400円だから安い方だ。学生はさらに半額で、200円でいい。韓国からの留学生が最近はやりの RiRiRi Phoneという無料インターネット電話をかけていた。日本から韓国にかけても全く無料だ。私の所もよくアメリカに電話をするのでAT&Tが提供しているインターネット電話を使っているのでほとんどただみたいなものだが、ここは全く無料である。OhMyLoveというビデオチャットもやれるようになっている。インテル製の1万5000円ぐらいで買えるパソコン用ビデオカメラがディスプレイの上に置いてあり、お互いの様子を見ながらキーボードでチャットをすることが出来る。こんな調子なら日本とハワイに家族が離れていても一体感を味わえるというものだ。 8/27 この日は日曜日で、ネットスパイダーで3時間ほど過ごしたら、夜の9時になっていた。日暮里から自宅の方へ戻ろうと駅まで来て、「都会の森 ラングウッドホテル」という看板が地図付きで眼に入った。そぐそばなのでどんなところか行ってみようと、そのホテルの方へ歩いていくと、中国人の30ぐらいの女が寄ってきて、「マッサージしない、気持ちいいよ。」と言った。ちょうど肩が凝っていたので30分ぐらいなら付き合ってもいいかなと思いながら、まずはホテルの見学を優先してホテルの庭園を覗きに行った。マッサージと言えば、私のいる大塚で近所に「健康整体マッサージ」という中国人の経営している店があり、以前疲れが溜まって、ひどい偏頭痛がしたとき、首筋と肩をほぐしてもらったら、15分で頭痛が治ってしまった。その後も何回か行って、なかなかいい腕をしている連中だなという印象があった。果たして日暮里の方はどんなものだろうかと思いながら駅の方へ帰りかけると、またその女が出てきたので、誘われるままちょっと怪しげなマッサージの店に行ってみた。 8/31 店の扉が開くと若い中国人の男がいて、どのコースがいいか聞いてきた。30分3000円のでいいというとがっかりしたような顔をした。この男も、連れてきた女も私にオイルマッサージを勧めた。オイルマッサージだと一時間8000円、30分で4000円である。全身にオイルを付けて全部マッサージするという。すると大事な部分にまで触れてくるわけだから、これは気持ちいいに決まっている。私が入ろうとした仕切の隣から若い中国人の女性が出てきて、また入っていった。なかなか可愛い子であった。大塚の方の健康マッサージはちゃんとベッドでやるのだが、ここはフロアーに布団が敷いてあるだけで、隣ともカーテンで仕切ってあるだけだった。その布団の敷布も、毎回取り替えてはいないのではないかと思わせるような感じであった。呼び込みの女がそのまま私にマッサージを始めた。 9/2 肩が凝っているから肩をやって欲しいというと、うつぶせになっている私の尻の上に自分の尻をどかっと乗せて、手を伸ばすようにして私の両肩を揉み出したが指先の力が弱く、今ひとつという感じであった。しばらくしてカーテンで仕切られている隣で札ビラを二、三枚切るような音がして「はい、これで」という声がした。するとまたしばらくして今度は女性の可愛いあえぎ声が聞こえてきた。「おっ、何なんだあの声は」と思っているうち、まだ23分ほどしか経っていないのにもう時間が来たと言って、この中国女が「エンチョウ、エンチョウ」と言いだした。「延長なんかしなくてもいい」と帰り支度をはじめると隣の声がピタッと止んだ。いったん仕切りの外へ出てから、隣がカーテンの隙間から見えたので、ちらっと覗くと、60近い男が仰向けになっていて、女性のマッサージ師が見えなかった。たぶん裸だったので脇に隠れていたのだろう。大塚などでもよく連れ込みの女を見かけるが、この手のマッサージはみんなこういうことをするのだろうか、と考えさせられてしまった。 9/5
日本人が勝手に考える商品名が、英語の視点から見ると困った言葉になっている例を、今日は清涼飲料水のブランドで見てみよう。問題になるのはカルピスとポカリス エットである。カルピスはCalpisと書き、発音は[kalpis]となる。そこでpisは米俗語piss(おしっこ)と同じ発音となるので、当然英米人は、そんなものを連想させる商品は気持ちが悪いから買うのはよそうということになる。ポカリス エットにしても同様である。Pocarisweatと書くから、Sweatは汗を意味し、汗を掻いた後スカッとさわやかにというつもりでネーミングしたのが、汗でも混じっているのではないかと、錯覚を起こさせる。そういうわけで以前私のところでイラストレーターとフォトショップを使ってウェブ用に使う画像の作成を手伝ってくれていたSさんという方がイギリスでデザインの修行をしていたのであるが、イギリスではカルピスのことをカルピコと名前を変えて売っているということを教えてくれた。日本でもそのようにしてしまえば市場ももっと拡がるのではなかろうか。 8/20
今、私の妻ケーティと娘の令奈はハワイのマウイ島にいる。私の妻は、作家のセンスがあったが、出版はしてこなかった。ハワイのマウイ島で、Writers' Conference があって、A4で260ページもある大きな小説をちょうど書き終えていたので、出版のエージェントを見つけるつもりもあって出かけていったのである。毎年どこかで、このカンファレンスはやっているが、たまたま今年はハワイでやることになったのである。 私の家内は大学院では政治学をやったが、大学の時はラテン系の文学を専攻した。「百年の孤独」などでノーベル賞を取った、コロンビアのジャーナリスト出身の作家、ガブリエル・ガルシア・マルケスの影響を受けている。今回書いた小説はSorrow of the Trees (木々の悲しみ)というタイトルだ。これは10年ぐらい構想を温めてきた、はじめての本格的小説だ。うまくベストセラーにでもなって欲しいものである。私の妻は3月17日の魚座生まれなのでそうなるのか、発想が私と全然違う。自然に幻想的な小説が書ける体質を持っているようである。 一方、娘の令奈は、かって毎朝山手線の大塚から恵比寿まで満員電車に揺られて行くのから解放されてハッピーだ。マウイ島にはモンテッソリという小学校がある。モンテッソリとシュタイナーは子供の自然な可能性を引き出して、自由な人格を築いていく学校としては世界の二大ブランドだ。「アンネの日記」で有名なあのアンネ・フランクも隠れ家に入る前はモンテッソリに行っていた。令奈ちゃんがこの難しい学校の面接とテストを受けてみたら見事に合格してしまった。妻の方がこの学校に娘を入れたいと言っているので我々はしばらく離れ離れになるかも知れない。 8/15
二年前に毒入りカレー事件というのがあった。あのとき文芸春秋に三好さんという中学生の女の子が寄稿した文章が一位になって掲載されたので、一時評判になったことがあった。その三好さんの行っていた中学が私のかって通っていた新宿区立戸塚第一中学である。この中学はソフトボールが盛んであった。 秋に学年ごとに校内大会がある。クラスの中でチームを作り、他のクラスと対抗試合をする。3年の時のことだ。私はピッチャーをしていたのだが、あるときコツが分かって校内一の剛速球投手になってしまった。それで私が投げると相手が打てなくて試合が面白くなくなるので、もう一人池田君というのをピッチャーとして養成した。はじめに池田君が投げて負けそうになったら私が出るということにしたのだ。ソフトボールで剛速球を投げるコツは、はじめは普通に投げながら、だんだんと大胆に 力を抜いて、ビュッと投げ捨てるように放り出し、しかも体重がそこに乗るようにするのである。投げる瞬間に手首と指をどちらかにひねると、カーブもシュートも威力のあるのが投げられるようになる。こう書くといかにも簡単そうに聞こえるが、実は相当量の蓄積がないと、このポイントはつかむことが出来ない。 普通の人はストライクゾーンに投げようとする意識が働き、球をつかんだまま置きに行くため、腕の力が抜けきれていないので威力がないのである。思い切り振り抜いて球を放す瞬間に何の作為もないようになっているとうまくいく。球を放す瞬間に自然な気合いが乗っていることが大事なのである。練達自然にして無為自然という境地である。およそスポーツに上達するには力を抜いてしかも必要な一点には集中力がこもっているような合気道の達人のようなコツをつかまなければならない。これを西田哲学では「絶対矛盾的自己同一」という。 クラス対抗の決勝戦でも2点ぐらい負けてから私が投げて押さえ込み、その間に打線が活躍し、稲葉君という友達が満塁ホームランを打って楽々と逆転勝ちして優勝した。勝ったチームは最後に先生が作ったチームとやることになっていた。先生のチームには負けることもあると聞いたので、今度は私が先発して三振の山を築いてあっさり完封勝ちしてしまった。 8/6
デジタルディバイドという言葉がある。パソコンを使える人と使えない人のあいだの情報格差、及びそれから発生する経済格差をも意味する。インターネットによる情報収集及びその編纂とそこからの現実生活への創造的対応が日常的に出来る人は仕事の質が当然違ってくる。インターネットを上手に利用すると必要な情報がピンポイントで割合容易に入ってくるのはこのサイトへ来ている人たちは当然経験していることだろう。ところが先日、作家の枝川公一さんと電話で話していたら、枝川先生の知人達でさえ、驚いたことに日本のサイトしか見ていない人たちがほとんどらしい。それでインターネットがだんだんつまらなくなってきたという声が聞かれるそうである。おそらく日本人の90%は日本のサイトだけをぐるぐると巡っているだけなのではないだろうか。家内のケーティが誰かから聞いて、日本人は英語が出来ないのでインターネットの文化とビジネスチャンスから取り残されるだろうと言われているということだ。もしそうなったらそれはラングイッジ・ディバイドということになる。このディバイドという言葉も英語ではいろいろな場面で使われる。カントリーのシンガーソングライター、ナンシー・グリフィスが6,7年前にグラミー賞を取ったアルバムに「遠い声」というのがある。これは大変優れたアルバムなので買って損はない。この中の第1曲目「ロッキーを越えて」の中でグレート・ディバイド(great divide)という文句が出てくる。ロッキー山脈から流れ出る水が川となり、それがアメリカ大陸を東部と西部に真っ二つに分けるからグレート・ディバイドなのだそうである。実は、私ははじめ聴いていてどうも意味がよく分からなかったので、ケーティに聞くと、アメリカ人なら誰でも知っていると言われてしまった。 7/30
先日、市ヶ谷の日大本部に用事で行った帰り、連れの二人とお茶を飲むために向かいにある私学会館に寄った。確かそこにある喫茶室兼レストランの名前がSleazかSleezとなっていた。いずれにしてもこれはいい名前ではない。普通、英語で[sli:z]というような発音をすると低俗で安っぽく、品のない人や事柄を表す意味(sleaze)になる。形容詞ではsleazyとなりアメリカの口語ではしょっちゅう使う言葉だ。例えばうちのアメリカ人の家内のケーティなどはよくSharon Stone is sleazy.などと言う。女優のシャロン・ストーンはあばずれだ、ぐらいの意味になる。どうしてこんな名前を選んだのだろう、誰か英語のよく分かる人に確認しなかったのだろうかと思った。もっとおかしな例がある。4ヶ月ほど前、私が昼間行っている会社に関連した英文のサイトを作る関係で、東京工業大学の英語のサイトをのぞきに行った。そうすると困ったことに東工大の英語の名称がTokyo Institute of Technology となっており、公式の略号がTITである。明らかにマサチューセッツ工科大学(Massachusetts Institute of Technology) MITの真似をして付けたのであるが、英米の風俗文化をよく知らないで無視して付けるからこういうことになる。英語圏のネイティブが見るとこれは大変こっけいなことなのである。というのもtitというのは俗語で女性の乳首とか乳房を表すからである。略号は大文字になっているためtitとして認知すると英語のネイティブから見ると大きく叫んでいる印象を与える。日本の一流大学が英語で「でっかいおっぱい」あるいは「大きな乳首」と発信しているのである。ではどうしたらいいかというと、思い切って名前を変えてTokyo School of Technology とするかTokyo Technological Institute などとする方がいい。 7/15
某有名テレビ局にM氏という人がいる。小柄で、やや軽い感じがしないでもないが、頭は切れる方だろう。もうじき定年だというから58ぐらいになっているはずだ。若いとき早稲田の政経にいた。ちょうど彼が早稲田に入ったとき国際部が出来た。私が居た頃はアメリカ人の学生は100人位しかいなかったが、出来た当初は何百人もいたので、聴講試験に合格して週に一回国際部の授業に参加したMさんは、まるでアメリカの大学にいるようだったと述べている。今でもMさんは女性 の尻を追いかけてばかりの傾向だが、ましてその頃は青春まっただ中だ。そのうちアメリカ人の女子学生と知り合いになった。 何とか彼女をものにしようとMさんは考えた。当時は昭和37年頃だから、まだラブホテルなどは多くはなく、新大久保あたりに連れ込み旅館がまとまっていた。そこでMさんは 「日本の宿屋がどうなっているのか知らないでしょう。せっかく日本に来たのだから一度のぞいてみるべきだよ。」と言葉巧みに誘導を始めた。果たしてうまく行くのだろうかと内心ハラハラしながら、ともかく新大久保の旅館の一室まで連れ込むのに成功した。そのあと二人でそこに座り込んで、おそらく今度は、日本人の男も知ってみるべきだなどと言ったのかも知れない。思いがけない成り行きにとまどう彼女にかまわずMさんはがんばった。小柄ながら、個人レベルの日米親睦に必死で励んだのである。ところが次に会ったとき、彼女はプイと顔を逸らして相手にしてくれなかったそうだ。これから推察すると、彼女にとって見れば真珠湾の奇襲攻撃に遭ったようなものだったのだろう。 実は私も以前、国際部の聴講をしたとき、そのような野心があったのだが、たまたま知り合った外人女子学生は極めてまじめで、余りそっちの方に興味はなく、またお互いにそういう引力も働かなかった。そういうわけで私の場合は喫茶店止まりで終始したのだった。 7/1
昔のことを思い出しているうち、今思うとかなりの大記録を出したことがあった。それは小学校6年の時、新宿区36校の小学校が参加した書道の書き初めコンクールで私が第2位になったことだ。もちろん全くの素人ではなかった。小学校3年から6年まで、柳生書道塾というところで習っていた。柳生先生は書道家の間ではかなり有名な人だったみたいだ。確か毎週1回ぐらいの間隔で通っていたように思う。特に身を入れてやっていたわけではないが知らない間に上達していた。柳生先生の奥さんが、傍らで見ていて、最初はどうもこれではという感じだったが随分よくなったので感心した、と母に感想を述べていたことがあった。5年の時には新宿区で金賞を取るところまで上達していた。5年まではふつうの半紙に書くのだが、6年生だけは縦の掛け軸になるように大きな縦長の和紙に書く。その年の題目は「東海の富士」であった。このたった5文字の表現力を規定された紙の領域の中で競うのである。 せっかく書き初めをやっても、その優劣を見抜く眼を持った人がいないと区のレベルの選考まで上がって行かない。その点、私の通っていた戸塚第一小学校には新井先生という小柄で眼鏡をかけた目利きがいた。まずクラス50人の中で私のだけピックアップして持って行った。さらに全クラスでせいぜい2,3人ぐらいが区の方へ選出されたのだろう。そこから区の教育委員会が専門家に依頼して、36校の中から特に優れたものを選んだのだ。一番は区長賞、二番は教育委員会賞になる。それ以下は複数の金賞、銀賞、銅賞などとなっていく。私は思いがけなくも教育委員会賞を受賞することになったので、36校中の2番目までのし上がることが出来た。 展示場は新宿御苑の大木戸門のそば、四谷の新宿区中央図書館の上の方の階だった。その階の廊下に掛かっていた自分の書いたものを見に行ったとき、隣に区長賞を取った「東海の富士」があったので見比べてみた。微妙な違いではあるが、私の方は優美でまとまりがあったが、区長賞の方が集中力に勝り、切れ味もあり豪放であった。なるほど、こいつの方が俺のよりいい みたいだ、と納得した。 6/25
中学の頃のことを思い出して、もう一ついたずらをした話をしよう。今度は主犯格は宮森君という友人で、私はただ手伝ったに過ぎない。宮森君は後に慶応の工学部に入った頭のいい男だったが、いたずらも相当なものだった。早稲田通りと明治通りの交差点のほど近く、会津屋という酒屋がある。そこが宮森君の実家だ。そこから高田馬場寄りに少し行くと、斉川というパン屋があった。今でもあるかも知れない。ここの息子が勉強が出来ない割には生意気で、しょっちゅう宮森君に口答えをする。そこで宮森君が「今から斉川に焼きを入れるから小石河君ちょっと手伝ってくれ。」ということになった。 教室が二階にあったので、教室の窓から斉川を放り出して、足だけ持ってゆさゆさと揺さぶってやるということだった。一人ではそれが出来ないので私に指名が来たのだった。そこでまず二人して斉川君を捕まえた。それから窓際まで引きずって行って、えいとばかり外へ引き出した。それから私が右足を、宮森君が左足を持って、逆さまになった斉川君の体をゆさゆさと揺さぶったのだ。「わーやめろー。やめてくれー。」と斉川君が叫んだが、かまわず続けて一分ぐらい経って引き上げたら、斉川君は床にヘタヘタと座り込み、顔色が土気色になっていた。それっきり斉川君は宮森君に口答えをしなくなったそうだ。 6/17
前回、小学校の頃の話をしたので、今回は中学時代の話をしてみよう。中学一年の時、(もしかしたら小学校六年の時だったのかも知れない。)空手をやりたくなった時期があった。近所に空手の道場がないので、空手の本を買ってきて、裏庭に棒を立てて巻藁を巻き、突いたり蹴ったりの練習をした。攻撃するときどこに急所があるかなども研究した。あるとき、練習している最中に、少しやり過ぎて、左足の付け根を軽く脱臼してしまい、今もそのままになっている。 さて、家のすぐ隣りに保育園があり、そこは夕方からは塾になっていた。何を習っていたか記憶にないが、一時そこに通っていたことがあった。この塾は新宿区と豊島区の境に近いところにあった。私は新宿区立戸塚第一中学校に通っていたが、豊島区の高田中学からも習いに来ている中学生達がいた。その中で一人、生意気でケンカも強そうな男がいた。帰りに文房具屋でその男と行き会ったとき、「お前うるさいから少しおとなしくしていろ。」と言ったら、その男が怒りだした。「そんなこというなら勝負しろ。」ということになり、近所の甘泉園という庭園で、翌日の夕方五時に果たし合いをすることになった。 6/3 実際にこういうことになるとその後いろいろ考えるものである。あんな約束しなければよかったとか、誰か加勢でも連れていこうかなどと思った覚えがある。翌日の定刻に甘泉園の入り口で相手は待っていた。誰かもう一人いたような気がするがよく覚えていない。池の畔の適当な場所で、周りに人もいなかったので、ここでいいだろうということになって、いよいよ決闘が始まった。相手の方が先に仕掛け出した。ブンブンと拳を振り回すが、それにつられて体が流れてしまっている。距離もまだ十分に縮まっていなかった。私の方は比較的冷静に機会を伺っていた。いい距離に入って、ここだと思った瞬間、私の右ストレートが自然に出て、急所のこめかみをめがけてカウンターで炸裂した。クラクラッとなった相手は、前に倒れかかってきたので、この機会を逃さず相手の髪の毛をつかんで私の膝で相手の顔をボコボコに打ち込んだら鼻血が出てきた。「やめてくれ」と言ったので、それで終わりにした。その後、この男は塾に一回顔を出したが、それきり辞めてしまった。この出来事についてはその当時私の家族にも言わなかったし、友人にも言わなかったように思う。今にしてみるとこの相手には悪いことをしたと思っている。 6/10
先日、「波瀾万丈 大前研一」という番組を見た。見たといっても、私は通常テレビを見ないので、一階上の同じマンションに住んでいる母がビデオにとっておいてくれたものを見たのである。大前研一という 人は私と同様アメリカ留学をしており、マサチューセッツ工科大学の博士課程を出ている。後にマッキンゼー日本支社の会長となり、都知事選で5年ぐらい前に敗れた有名な評論家だ。前から よく頭の斬れる男だとは思っていたが、中学の時の知能指数が216だとは恐れ入った。私の場合は小学校では一番だった。普通は誰が一番だったか分からないと思うのだが、当時はテレビがまだそれほど普及していない時代で、家にはおいてあったので、鈴木喜代志先生という担任の先生が時々野球を見に来ていたのだが、あるとき小学校三年だった私の頭を撫でて、「この子すごいですよ、知能テストが学校で一番ですよ」と私の両親に向かって言ったので分かったのだ。そのときの知能指数は余りよく覚えていないが167ぐらいだったように思う。二カ所ぐらいは全部やり終えて時間が だいぶ余っていたので、本当はもっといい点数だったはずだから177ぐらいが本当のところだろう。そこで近所に、以前この同じ鈴木先生に習った六歳年上で秀才で有名な三浦登さんという人がいて割合親しくしていたので「登ちゃん知能指数いくつ?」と聞いたら170と答えたのを覚えている。 彼の場合もたぶん二カ所ぐらいは終えているはずである。ところでこの人が東大の理Tへ現役で入ったとき、ほとんど全科目一番で合格したので、 今年は珍しいことが起こったと、その年の教官達の間で大変な評判になったそうだ。そのことを彼のお母さんが自慢そうに話していたのを覚えている。36歳で東大の教授となり、今は筑波にいる ようだ。 5/21
昨年、高輪から大塚へ引っ越しをして、ここへきて隣の町の池袋の使い勝手の良さに気付くようになった。もともと私は生まれが新宿区の豊島区よりのはずれで、昔、戸塚1丁目といい、今は西早稲田3丁目というところで生まれた。家の前の坂を下りると面影橋というチンチン電車の停留所があった。池袋などは子供の頃自転車で行ける行動半径の中にあった。以前の池袋は大したことはなかったが、サンシャインが出来、メトロポリタンが出来てから街全体が活性化している。私の町歩きといえば無粋なもので、本屋と文房具屋とCDショップにパソコン関連の店、それから適当なレストランとカフェを目当てにしている。池袋といえば、書店は以前は芳林堂と新栄堂ぐらいしかなかったが、今ではリブロと淳久堂という大型書店が出来て大変便利になった。淳久堂は大阪に本店のあるチェーン店だが、この池袋の店は世界最大級であるという。確かにここは売り場面積でも八重洲ブックセンターに引けを取らないかも知れない。立ち読みではなく、テーブルと椅子がおいてあって、坐って本が読めるのも良い。連休中のある晩、私の携帯がこの本屋の中で鳴ったので、出てみると銀座から占い希望の二人組が電話してきた。多分40分ぐらい経ってから、その連中がここまで来たので、そのテーブルのところでアルバイトをすることが出来た。この淳久堂の隣りにスターバックスがある。二階のソファが非常に居心地がよく、取り敢えずそこを占領しておいてから淳久堂へ行ったり来たりというのが私のパタ−ンである。 5/7
この間の日曜日、山手線に乗って池袋から田町あたりまで行こうとした。家族とお台場で待ち合わせなので、ゆりかもめの駅へ行けばよかったのだ。池袋から乗ろうとしたとき席はふさがっていた。ふと右を見ると、男が寝そべっていたのでガツンと頭を小突いてから「起きろ!」と言ったら、40代後半の坊主刈りで、口ひげを蓄えた、大柄で屈強そうな男が「イテッ」と言ってむっくりと起きあがり、怒り出した。「この野郎、殴ったな、俺も殴るぞ」などと喧嘩腰になった。とにかく席に座ってから、「まあ、まあ」となだめて、いろいろ話を聞くと、ずいぶん面白い男だった。もともとは沖縄出身で、ボクシングのミドル級で世界ランキングまで入り、アメリカのニューヨークの地下ボクシングで人を二人も殺してしまったという。背の高さも182センチと大柄なので新宿などでやくざと喧嘩をしても一度も負けたことがないということだ。意外と人なつこい面があるので、私もすっかり気に入って、今度一緒に飲みに行くことにした。と言っても私は下戸なのでウーロン茶でごまかすことになるが。4/21
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